1976-03-02 第77回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第2号
当面の問題もさることながら、長期的な問題を考えましても、非常にことしはその基礎固めをしなければならぬ、こういう年柄に当たりますので、精いっぱいの努力をいたしてまいりたい、さように考えております。何とぞ御協力のほどをお願い申し上げます。
当面の問題もさることながら、長期的な問題を考えましても、非常にことしはその基礎固めをしなければならぬ、こういう年柄に当たりますので、精いっぱいの努力をいたしてまいりたい、さように考えております。何とぞ御協力のほどをお願い申し上げます。
五十一年度はその第一歩を踏み出さなければならぬ、そういう年柄になるわけであります。成長の速度は落とすことになりまするけれども、その成長政策の内容といたしましては、先ほどから申し上げておりまするとおり産業中心から生活中心へ、そういう方向へ移行する、これが政府の基本的な考え方です。
ですから、調整期間の最後の年になるわけですが、同時にそれは新五カ年計画の初年度にも当たる、こういう両面の性格を持っている、そういう年柄だという意味なんです。
したがって、五カ年計画のねらいとするところを完全に五十一年度予算において実現するというわけにはまいらぬというふうに思いますけれども、しかし新五カ年計画においてねらいとするところの成長中心から生活中心へという方向の芽は吹き出させる、こういう年柄にいたしたい、さように考えております。
したがって、中期的には成長中心からこれは生活中心へという基本的考え方でございまするけれども、来年度の予算はやっぱりいろいろ工夫をして最終需要を盛り上げる、そうして景気を安定軌道に乗せる、つまり、景気対策的側面というものが非常に重視されなけりゃならぬ年柄になる、そういうふうな認識でございます。
そういうことで、若干まだ流動的要因もいろいろ包蔵しておるという、そういう年柄にはなりまするけれども、しかし、さらばといって五十一年度という年を、これを何のかじなきままに運航する、こういうわけにはいかぬ。そこで政府におきましては、五十一年度を初年度とする新五カ年計画、これの策定を準備しておるわけであります。
しかし、一方において、計画の基本になる、プロジェクトの基本になるところの経済社会発展計画だとか、新全総とかがまあ出直しだと、こういうのですから、そういうことのあり得ることを頭に置きながら五十年度というその年は現実的な処置をしなければならぬ、そういう年柄に当たるのじゃあるまいか。
ですから、あのときは、法人税、所得税について減税をしたわけでありまするが、今回は、筋からいいますれば企業減税をする、こういう年柄になるわけでありますが、企業につきましては、昨年、増税をいたしたばかりである。そして、しかも、これが二年という時限をつけた増税であると、こういうようなことで、それもありまするし、国会におきましても皆さんから法人負担が軽過ぎるんだというような御議論もある。
○鈴木一弘君 先日私は本会議で大臣に質問したわけですけれども、その中で、総需要の問題で、御答弁の中には、総需要を抑制しなければならぬ年である、そういう年柄から言えば、所得税の減税を行なって消費購買力の拡大をするということは避けなければならないというような答弁があったわけでありますが、私はその点で一つ大臣と意見を異にしております。
そういう年柄から言いますれば、所得税の減税を行なって消費購買力の拡大をする、これはとるべからざることなんです。それをあえて逆に所得税の大減税をやるということは、これは七〇年代は内政重視の年であるという考え方に立ちまして、あえて採用した考え方でありますので、御評価のほどお願いしたいと思います。
そこでわが国としては、この世界の動きというものを非常に警戒的に見なければならぬし、また、日本は十大先進国の一国として日本なりに努力も協力もしなければならぬというふうには考えまするが、国際情勢の動きを注視しつつわが国の経済の運営に誤りなきを期すという態度が特に必要な年柄ではあるまいか、さように見ておるわけでございます。
つまり、そのときどきの全体の情勢から判断しなければならぬ、こういうふうに思いますが、まあことしあたりというこの年ですね、四十四年、これは、私どもは何とかして物価を安定させる方向に向かわせたい、そういう年柄にしたい、こういうふうに考えておるのです。
景気調整の機能ということから考えますとそういう年柄になる。でありますから、来年は公債の減額を行ないたい、こういうふうに考えまするけれども、全部減らすというようなことになりますると、どうしても財政の伸びを実現することはできません。
(拍手) 本年は、申すまでもなく、終戦後ちょうど二十年、佐藤総理が申されたように、日本はまさに成人式を迎えた年柄とも言えるのであります。この二十年の間にわが国は、終戦のときにはだれもが想像し得なかったような復興と、世界の国々が目をみはるような偉大な発展をなし遂げ、国際社会におけるわが国の地位もいよいよ向上してまいったのであります。まことに感慨にたえないところであります。
かような年柄の際に検査規格はどうするのだというような御質問は昨日もあったのでありますが、検査の規格は規格として——これは年によって多少の、標準品をどうとるかというような問題はございますけれども、規格は規格として動かすことは困難であると思います。
○河野謙三君 お互いに昨晩徹夜しておりますし、私のような青年でも相当疲れておりますから、各大臣もさだめしお年柄お疲れと思いますから、疲れた同士で談議しておりましても、夢物語か寝物語のようなことになりますから、ごく簡単にやりますから、簡単に答弁を願います。
御承知のように昨年は実収が六千万石そこそこでありまして相当凶作と言われた、その凶作の年柄ですでに二千三百万石集まっておるのであります。従ってこれが平年作なりあるいは相当豊作であれば現在の食管の制度から言いまして当然政府は買い上げをされることと思います。そうなりまするというと、計算上また実際上当然に赤字というものがふえて参るわけです。当然ふえると思うのです。
しかも人格円滑でありまするし、年柄といたしましても相当の年配でありますし、私どもといたしましては最も競馬を執行して行くにつきましては適切なる人物であるというふうに農林省といたしましては判定をいたしたのであります。
青の部分が反収一石にならない年柄、つまり凶作であります。これが六十年間に十五回ある。それから四俵以上、つまり一石六斗以上をとつた年、これを豊作と一応考えてみますと、これも十五回ございます。あとの三十回というのが六十年間に平年作を収めておる、こういうふうに見られたのであります。従つて百年間に二十五回ずつ凶作と豊作とがあり、残つた五十回というのが平年作ということになります。
場合においては、当然政府としては一定量の供出の確保ということは、どうしても、相当無理があつてもやつて行かれると考えられるのですが、そういたしますと、予約供出に対する期待というものはそれほどできないんじやないかというふうに考えますし、この予約供出に対して大きな期待を持つた場合においては、さらにまた強権的に義務供出を強行させなければならぬというような事態も生じて来ると思うわけですが、特にこういうような年柄
但し、少し出過ぎたことでありますが、今のように知事が在職中に年柄年中選挙運動をやつているということは一つやめてもらいたい。具体的に言えば、知事は一回限り、再選不可能、桑原さんにはちよつと恐縮でありますが、再選禁止、これで一つ府県知事の公選制度を維持する、これが私の希望であり念願であります。
一例をとりますと所長や検事正というものは年柄年中管内視察だ何だといつて汽車に乗つて歩いている、汽車に乗ると一等か二等の旅費が出て宿屋に泊つてもとにかく余るのです。だから歩けば歩くほど収入が太つて来る。
その間においてこの公労法を完全実施せんければならんじやないかという意見も聞くのでありますが、国家財政の緊迫状態、並びに本年は異常の災害を受けた年柄であつて災害の復旧に多大の国費を要する状態であります。殊に冷害等の異常な農作物の凶作であつて、米穀の輸入にも非常な出費を要する年柄であります。