1975-10-29 第76回国会 衆議院 予算委員会 第8号
なお、私の関連する近代化研究会の代表者平川篤雄君に問い合わせましたところ、受け取った一切の政治資金は正規の手続をいたしており、それ以外の政治献金は受け取っておらないということでございます。 重ねて申しますが、政治姿勢については、厳しくみずからを律し、今後においても、この態度は変わることはございません。
なお、私の関連する近代化研究会の代表者平川篤雄君に問い合わせましたところ、受け取った一切の政治資金は正規の手続をいたしており、それ以外の政治献金は受け取っておらないということでございます。 重ねて申しますが、政治姿勢については、厳しくみずからを律し、今後においても、この態度は変わることはございません。
そして、そのうち半分の百五十万円は協同主義研究会代表井出一太郎氏、もう半分が近代化研究会、平川篤雄という方ですか、百五十万円ずつ。実はこの領収証が大阪地検から裁判に出されまして、押収番号百六十二ということになっておる。全然井出官房長官、覚えがございませんか。
○三木内閣総理大臣 責任者は明白にいたしたわけですが、責任者は、最初申したように、政策懇談会は佐々木敏行、それから近代化研究会は平川篤雄、これが責任者であるということは明白にいたしておるわけでございます。したがって、この点は…… 〔「それはわかっておる」「四団体だよ」と呼び、その他発言する者多し〕
平川篤雄という者が責任者に、会長になっておると思いますが――責任者を申します。政策懇談会は佐々木敏行、それから近代化研究会は平川篤雄という、佐々木敏行と平川篤雄。前のはなにで、これが責任者になっております。
これは市岡という事務局長が采配をふるつておられますが、この人は中央でどういう議論をされるか知らぬが、広島県に帰つた場合は、わが尊敬する改進党さんの平川篤雄前代議士の運動をいつもやられておることはだれ知らぬ者もないのであります。そうして日政連の会合には自由党の人も行かれれば、左派も右派も行く、共産党はここには一人も行つていないのであります。
高倉 定助君 高瀬 傳君 高橋 長治君 高橋 禎一君 武部 英治君 竹山祐太郎君 舘林三喜男君 千葉 三郎君 堤 康次郎君 床次 徳二君 内藤 友明君 中島 茂喜君 中曽根康弘君 中野 四郎君 中山 榮一君 中村 寅太君 中村庸一郎君 長井 源君 並木 芳雄君 楢橋 渡君 長谷川四郎君 早川 崇君 平川 篤雄
武一君 農林事務官 (畜産局長) 長谷川 清君 委員外の出席者 農 林 技 官 (畜産局有畜営 農課長) 山本兵三郎君 専 門 員 難波 理平君 専 門 員 岩隈 博君 専 門 員 藤井 信君 ————————————— 三月十二日 委員平川篤雄君辞任
園田 直君 田中 久雄君 高岡 大輔君 高倉 定助君 高瀬 傳君 高橋 長治君 高橋 禎一君 武部 英治君 竹山祐太郎君 舘林三喜男君 千葉 三郎君 床次 徳二君 内藤 友明君 中島 茂喜君 中曽根康弘君 中野 四郎君 中村 寅太君 中村庸一郎君 長井 源君 楢橋 渡君 長谷川四郎君 早川 崇君 平川 篤雄
昭和二十八年三月十二日(木曜日) 午前十時五十四分開議 出席委員 委員長 佐藤 洋之助君 理事 飯塚 定輔君 理事 森下 國雄君 理事 平川 篤雄君 理事 受田 新吉君 理事 帆足 計君 池田 清君 塚原 俊郎君 中山 マサ君 野澤 清人君 森 清君 亘 四郎君 臼井 莊一君 武部 英治君
昭和二十八年三月十一日(水曜日) 午後一時四十八分開議 出席委員 委員長 坂田 英一君 理事 青木 正君 理事 野原 正勝君 理事 平川 篤雄君 理事 井上 良二君 秋山 利恭君 高見 三郎君 中馬 辰猪君 綱島 正興君 松野 頼三君 村松 久義君 金子與重郎君 高倉 定助君 高瀬 傳君
昭和二十八年三月十一日(水曜日) 午前十時五十六分開議 出席委員 委員長 佐藤洋之助君 理事 飯塚 定輔君 理事 森下 國雄君 理事 平川 篤雄君 理事 受田 新吉君 理事 帆足 計君 池田 清君 塚原 俊郎君 中山 マサ君 野澤 清人君 森 清君 亘 四郎君 臼井 莊一君 柳田 秀一君
昭和二十八年三月十日(火曜日) 午前十時五十一分開議 出席委員 委員長 坂田 英一君 理事 青木 正君 理事 平川 篤雄君 理事 井上 良二君 秋山 利恭君 小笠原八十美君 中馬 辰猪君 寺島隆太郎君 村松 久義君 金子與重郎君 高倉 定助君 高瀬 傳君 中村 寅太君 川俣 清音君
昭和二十八年三月六日(金曜日) 午前十一時十一分開議 出席委員 委員長 坂田 英一君 理事 平川 篤雄君 秋山 利恭君 大島 秀一君 小笠原八十美君 高見 三郎君 中馬 辰猪君 寺島隆太郎君 松野 頼三君 金子與重郎君 高倉 定助君 高瀬 傳君 川俣 清音君 中澤 茂一君
昭和二十八年三月五日(木曜日) 午前十時五十八分開議 出席委員 委員長 坂田 英一君 理事 青木 正君 理事 平川 篤雄君 理事 井上 良二君 秋山 利恭君 大島 秀一君 高見 三郎君 中馬 辰猪君 寺島隆太郎君 原 健三郎君 松野 頼三君 金子與重郎君 高倉 定助君 高瀬 傳君
昭和二十八年三月四日(水曜日) 午後二時四十一分開議 出席委員 委員長 佐藤洋之助君 理事 飯塚 定輔君 理事 平川 篤雄君 理事 受田 新吉君 理事 帆足 計君 池田 清君 玉置 信一君 野澤 清人君 石坂 繁君 臼井 莊一君 松野 孝一君 堤 ツルヨ君 柳田 秀一君 出席政府委員
昭和二十八年三月二日(月曜日) 午前十一時十九分開議 出席委員 委員長 坂田 英一君 理事 青木 正君 理事 平川 篤雄君 理事 井上 良二君 理事 足鹿 覺君 秋山 利恭君 大島 秀一君 木村 文男君 高見 三郎君 寺島隆太郎君 松野 頼三君 金子與重郎君 高倉 定助君 高瀬 傳君
高岡 大輔君 高倉 定助君 高瀬 傳君 高騰 長治君 高橋 禎一君 武部 英治君 竹山祐太郎君 舘林三喜男君 千葉 三郎君 堤 康次郎君 床次 徳二君 中島 茂喜君 中曽根康弘君 中野 四郎君 中山 榮一君 中村 寅太君 中村庸一郎君 長井 源君 並木 芳雄君 橘橋 渡君 長谷川四郎君 早川 崇君 平川 篤雄
園田 直君 高岡 大輔君 高倉 定助君 高瀬 傳君 高橋 長治君 高橋 禎一君 武部 英治君 竹山祐太郎君 舘林三喜男君 千葉 三郎君 堤 康次郎君 床次 徳二君 中島 茂喜君 中曽根康弘君 中野 四郎君 中村 寅太君 中村庸一郎君 長井 源君 並木 芳雄君 楢橋 渡君 長谷川四郎君 長谷川 崇君 平川 篤雄
昭和二十八年三月二日(月曜日) 午前十時五十九分開議 出席委員 委員長 佐藤洋之助君 理事 飯塚 定輔君 理事 森下 國雄君 理事 平川 篤雄君 理事 受田 新吉君 理事 帆足 計君 玉置 信一君 中山 マサ君 野澤 清人君 石坂 繁君 臼井 莊一君 武部 英治君 松野 孝一君 堤 ツルヨ君
昭和二十八年二月二十八日(土曜日) 午前十時四十八分開議 出席委員 委員長 坂田 英一君 理事 野原 正勝君 理事 平川 篤雄君 理事 井上 良二君 理事 足鹿 覺君 秋山 利恭君 大島 秀一君 木村 文男君 高見 三郎君 中馬 辰猪君 松野 頼三君 金子與重郎君 高倉 定助君 高瀬
よつて議長は 青木 正君 原健 三郎君 平川 篤雄君 井上 良二君 小川 豊明君 以上五名を指名いたします。(拍手) ————◇—————
同月二十五日 委員菅野和太郎君及び平川篤雄君辞任につき、 その補欠として笹森順造君及び三木武夫君が議 長の指名で委員に選任された。