2020-12-03 第203回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号
これは、平安中期の問題、そして江戸前期の問題も考えて、これをどうするかということで考えてきましたので、系統の正統性に関わる問題として捉えられた大きな事実というのはないと思っております。
これは、平安中期の問題、そして江戸前期の問題も考えて、これをどうするかということで考えてきましたので、系統の正統性に関わる問題として捉えられた大きな事実というのはないと思っております。
それ以前にも、約七千年前から縄文の遺跡群がたくさんございますし、またさらに平安中期にできたお寺がございまして、これは江戸時代に、当時の幕府が先住民のアイヌの方々を教化するための蝦夷三官寺として開かれたお寺でもございます。それだけに、北海道内におきましては比較的早くから歴史が開けた町でございまして、最近は道内外からたくさんの定年退職者が移り住む町でございます。これは本州からも相当来てございます。
飛鳥、奈良、平安と天皇親政時代が続いたが、平安中期から摂関政治となり、源平合戦の後に源頼朝の鎌倉幕府以来七百年の武家政治が続いて、明治維新で王政に復古して今日を迎えたのであるが、政治の形態は二千年来いろいろと変わってきたが、天皇制の国体は変わらなかったと思うんだね。
まず一つ、これまで弥生遺跡とされていた伊場遺跡は、広く西方地域に広がり、時代は縄文期に始まって平安中期にわたるものであることが明らかになっておる。これは御異議ございませんか。御異議があれば言ってください。——じゃ、御異議ないことと思います。 第二は、七世紀から十世紀初頭に及ぶ木簡が六十二点も発掘された。