1964-06-04 第46回国会 衆議院 外務委員会 第29号
しかも、政府は責任を持って死亡者の調査あるいは遺骨の発掘及びそれの中国への送還という仕事を進められようとしませんので、そこで、昭和二十八年の二月に、日本赤十字社、日中友好協会、日本仏教連合会あるいは総評、平和連絡会というような団体が十四団体で中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会というものを結成いたしました。
しかも、政府は責任を持って死亡者の調査あるいは遺骨の発掘及びそれの中国への送還という仕事を進められようとしませんので、そこで、昭和二十八年の二月に、日本赤十字社、日中友好協会、日本仏教連合会あるいは総評、平和連絡会というような団体が十四団体で中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会というものを結成いたしました。
中国の遺骨の問題につきましては、ずいぶん古くからのいきさつがあるわけでございますが、簡単に経過のおもだったところを申し上げますと、昭和三十一年の六月に天津におきまして日本赤十字社、日中友好協会、平和連絡会、いわゆる引き揚げ三団体と称しまするが、これらの三団体が中国の紅十字会と会談いたしました結果、たしかにコミニュケに載っておる事項の一つであったと記憶いたしておりまするが、次のように書いてあるわけでございます
李徳全女史は、その滞在中、日赤、日中友好協会及び平和連絡会の代表に対して、殉難者の完全な名簿の作成を初めて正式に依頼されました。先ほどお話があった通りであります。三団体は、これを了承して、それまでにすでに続けておりました事業をさらに促進する、こういうことになり、今回こういう名簿ができ上っがた次第であります。
この名簿は、去る三月十二日に、この名簿の作成に協力した五団体、すなわち、日本赤十字社、日中友好協会、日本平和連絡会、中国人俘虜殉難者懸霊実行委員会及び元留守家族団体全国協議会の代表が持参いたしまして、私の立ち会いで椎名官房長官に面会の上、お手渡しをいたしました。そうしてこの民間で作った名簿と、厚生省が作成中と伝えられておる名簿とを一つ照合していただきたい。
と申しますのは、一九五三年に私どもは在中国日本人約三万人が帰国する問題について相談に来るようにということで、日本政府の許可を得まして、赤十字、平和連絡会、日中友好協会、この三団体が七人の代表者と六人の工作員とともに北京に参りまして、協定をいたしました。その後第十六回までずっと帰国は続いたわけであります。
〔臼井委員長代理退席、委員長着席〕 そこで、日本赤十字社、日本平和連絡会、日中友好協会、日本労働組合総評議会、日本仏教連合会、日本仏教鑚仰会、日中貿易促進会議、、平和推進国民会議、日本国民救援会、在華同胞帰国協力会、海外戦没者慰霊委員会、東寺、東京華僑総会、こういう団体が発起人となりまして慰霊実行委員会を結成し、ただいま申し上げたようなことを心の底から国民のざんげ行として遂行して参ろうということに
こういう情勢で昭和三十八年を迎えたわけでございますが、二十七年の十二月に北京放送が行われまして、それに基いて日本側から日赤と日中友好協会と平和連絡会の三団体の代表が北京に参りまして、引き揚げ問題を紅十字会と協議した結果、共同コミュニケが発表せられました。
○久保田参考人 この第一船で六百余名の引揚者が参つたわけでありますが、先ほど申し上げておる通り、大体あと千四百名の人が帰国を非常に熱望されているということでありますので、私のお願いしたいのは、日本政府当局並びに日本赤十字社、日中友好協会、平和連絡会の方々に今後も引続きぜひこの引揚げが実現できるように御尽力、御協力をお願いしたいと思いますので、この席を借りて特にお願いしたいと思うわけであります。
○参考人(高木武三郎君) 私どもは今度の帰国のお世話をするために、私と日中友好協会の島田さんと、それから平和連絡会の印南さんと三人で参りましたのでありますが、これらのことにつきましては、今までいろいろお話がございましたので、ごく簡単に私どもがその間に感じておりましたことを申し上げて御参考に供したいと思います。
平和運動では国際的、国内的に国際共産主義団体の一つである世界平和評議会などの諸決定を基本方針といたしまして、日本共産党の外郭団体である平和擁護日本委員会とか、あるいはアジア太平洋地域日本平和連絡会などを主体としまして、また各種の行事などにおきましては総評その他民主団体などを中心にいたしましてその実行委員会等を組織し、統一行動をとつておるのであります。
昨年二月慰霊実行委員会が組織されたときの発起団体は日本赤十字社、代表者島津社長さん、それから日本平和連絡会、日本中国友好協会、いわゆる帰国三団体を筆頭といたしまして、日本労働組合総評議会、それから日本仏教連合会、これは只今は全日本仏教会というふうに改組されておりますが、仏教関係の総括的な、全国的な組織でございます。それと日本宗教連盟、これは宗教各派を包含したものでございます。
なおその際、いろいろごたごたしたり、あるいはいろいろなデモ行進があつたり、あるいは赤旗乱立等のことがあつて不愉快な状態が起きるのじやないかというようなことも、実は心配をしないのではないのでございますが、これらの点は、日中友好協会並びに平和連絡会の主席とも実は懇談をいたしたのでありますが、二団体の人たちも、自分らも紅十字会の幹部を呼ぶ以上は愉快に旅行させたい、愉快に旅行させたいのに、そういうふうな赤旗乱立
殊に私どものほうは先般、もう一月半くらい前だと思いますが、中国紅十字会のほうへ三団体として、これは赤十字だけでありませんで、他の二団体、平和連絡会、日中友好協会と一緒の三団体の名において中国紅十字会に聞いてやつてあるのでございます。
早い話が日中友好協会或いは平和連絡会或いは赤十字、こういう三団体に限つておる。このたびは大山郁夫氏のいわゆる懇請によつて、日本赤十字と、それからソヴィエトの赤十字との間の交渉ということになつた。あなたの今おつしやるような、いわゆる間接的には何らかの響きを与えたということは我々もそういうふうに考えます。
この三団体で帰国協力会をつくつておると先ほど御質問がありましたが、帰国協力会は、日中友好協会と平和連絡会の主催のもとに帰国者の家族が集合している団体というようなお話でございまして、日本赤十字社は全然関係しておらないのでございます。ところが、この団体が日本赤十字社の許可なくして日本赤十字社の中に一室を占拠され、赤十字の数回の要望にもかかわらず、いまなお出て行かない。
○高橋(等)委員 私は、昨日日中友好協会の代表の方、日本平和連絡会の代表の方に質問を試みたいと考えて、平野さんに若干の質問をいたしまして、あとは阿部さんに聞いてくれ、こういうことであつたのでありますが、本日は御出席がなくて、まことに遺憾に存じます。船が門司を出たそうでありまして、これは非常にわれわれは喜んでおります。
○山下委員長 本日は、昨日お見えになりました日中友好協会の平野さん、それから日本平和連絡会の阿部さんは、ただいままだ御出席になるかならないかわかりませんが、一刻千秋の思いで内地に帰つて来ることを待つておる者のために、この紛争はたいへん遺憾であると思いますので、どうか、政府及びただいまお見えの参考人に遺憾なき御質問を願いまして、この問題の真相を御究明願いたいと思います。
それから阿部平和連絡会の代表は、遺骨送還船の件についてただいま相談中だという連絡でございまして、ただいま間に合わないと思いますが、昨日のお諸等もございますから、どうもこれは困つたことですけれども、しかしどなたかこれをこれを御存じの方から御答弁を願うことにして、御質問はさしつかえないと思います。
平和連絡会と日赤と日中友好協会とが帰国協力会を構成しておりまして、阿部さんがその帰国協力会の事務局長とされておりますので、阿部さんのお答えが最も事実によく合つていると思います。
○小平(久)委員 私も平野さんに一、二点お伺いいたしますが、まず最初に、先ほど平野さんから、高橋委員の質問に対しまして、乗船代表の行動に関しては帰国協力会というものを三団体でつくつている、その事務局長が日本平和連絡会の代表である阿部さんであるから、阿部さんに聞いてほしい、こういうお話がありましたが、帰国協力会の帰国というのは、言うまでもなく華僑の帰国だと思いますが、その帰国協力会なるものは、いつどういう
○木村(忠)政府委員 中共地域からの引揚げにつきましては、御承知の通りの経過によりまして、中共の北京におきまする十二月一日の放送が基礎になりまして、日本側から日本赤十字社、日中友好協会、平和連絡会、この三つの団体が代表を先方に派遣いたしまして、こちらに帰すにつきましての手続等について打合せをいたしました。これを基礎といたしまして三月から帰還が始まつたのであります。
○岡田(春)委員 日赤に頼んだこと以外に仕事はないのだ、こういうお話なんですが、そうすると、その外の二団体、平和連絡会と日中友好協会には全然依頼をしておらないのですか。
(拍手) 日本平和連絡会事務局長畑中政春君を御紹介申し上げます。(拍手) なお、団長の島津忠承君は、発熱せられまして、本日は御欠席になりましたことを御報告申し上げます。 これより参考人の方々からお話を承ることにいたしますが、その前に、御列席の参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
亘 四郎君 臼井 莊一君 武部 英治君 田原 春次君 堤 ツルヨ君 柳田 秀一君 出席政府委員 外務政務次官 中村 幸八君 引揚援護庁長官 木村忠二郎君 運輸事務官 (海運局長) 岡田 修一君 委員外の出席者 参 考 人 (日本平和連絡 会
日中友好協会にしても、平和連絡会にしても、政府としてはそう御好意は持つておられぬのではなかろうかと私は思います。そういう団体がすべてイニシアチーヴをとることは、何か政府は面子上、あるいは感情上も、どうも好ましくない、そういうようなお考えが、今のようないろいろと理由を並べられるもとになつておるのではないか。
そういう段階にあつて、この三万の引揚げは、これははつきりと、日赤をちようど刺身のつまに加えて、そうして平和連絡会と日中友好協会とを向うから指定されておる形になつております。船に乗せるについても、政府の職員が乗るのならばいけない、三団体が乗るのならばいいという態度に出て来られまして、相手にしてもらえないところの日本の現状というものは、国民が見ておつても非常に情ないのです。