2002-03-18 第154回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
法律によりますと今度は空港外でもやるということで、私はこれも、当時は沖縄担当大臣は橋本担当大臣のときにも申し上げたんですが、ショッピングモールを免税店にしていくんだということになれば、今、実は、沖縄観光の目玉というんでしょうか、非常ににぎわいのあるのは国際通りなんです、そして平和通り。
法律によりますと今度は空港外でもやるということで、私はこれも、当時は沖縄担当大臣は橋本担当大臣のときにも申し上げたんですが、ショッピングモールを免税店にしていくんだということになれば、今、実は、沖縄観光の目玉というんでしょうか、非常ににぎわいのあるのは国際通りなんです、そして平和通り。
お話しのように、ガーブ川は国際通りからちょっと入った平和通りなりの隣接のところ、まさにお話しの水上店舗が今あるわけでございますが、ふたをしたその下がガーブ川というふうに言われるところでございまして、先生お話しのように過去大変水害があったりいろんな課題の多いところでございます。 何よりもあそこの市街地の再開発をどうするか。
総理、大城宗憲さんという方、平和通りで書店をやっておられたということですが、先ほど私がお話をした、総理が郵政の政務次官になられた、あるいは逓信委員会の理事になられた昭和四十年代、昭和四十四年、四十五年、このころ大城さんはどういうお仕事をされておりましたですか。
○小渕内閣総理大臣 沖縄県で現在事業をされておられる方ですが、もともと、私が学生時代に、まだ復帰以前の沖縄県に参りましたときに、たしか平和通りかと思いますけれども、書店をやっておられまして、自来いろいろと親交をいただいておると思っております。
町の活性化ということで、旭川の場合には駅前からずっと続いて商店街のメーンになっているのですが、これを恒常的な歩行者天国にしようという大胆な発想を立てられて、そして商店の皆さん、それから町を挙げての御協力で、平和通り買物公園というのが駅前から約一キロ余にわたってつくられまして、国道だったところを車を遮断するという大変な大事業であったわけです。
○政府委員(小林悦夫君) ただいまの「82年・平和のためのヒロシマ行動」の会場問題につきましては、平和通りにメーンステージを設置いたしまして、また平和公園には自由利用と、こういう形で解決がなされたと承っております。
早急にこの現道の改修をしていただきたいと思うのでございますが、特に山梨県の甲府へいらっしゃるとおわかりですが、甲府の駅前から平和通りというのがございます。この一部が国道三百五十八号線の甲府市内のバイパスになっております。通称新々平和通りとも申しておりますが、これと国道二十号線の甲府バイパスとの接点、そこにランプがないわけなんですね。
そうなりますと、その貨物駅をまず移して、いま平和通りという通りがありまして、あの通りから少し右にカーブして甲府の駅があるわけですから、あれを、いま日通の会社がありますね、あそこのほうへまっすぐに平和通りから、信玄の銅像のあるところからまっすぐに正面になるようにしてほしい、そういうことなんですよ。ですから結論は変わっておらないのです。貨物駅を移転するということをしなければ駅舎は建ちませんからね。
これと、駅南口で立地する商業施設を可能な限り結合させ、さらに平和通り地下街、魚町地区商店街、井筒屋、馬借地区を包含した地域を北九州市の商業センターとして整備することは、将来の北九州市の発展にとってもっとも望ましいことである。」
順を追って申し上げますが、警察がこれを認知いたしましたのは、六月七日の午前十一時五十分ごろ松山東署に一般の人から一一〇番で電話があった、また同じ時刻ごろに松山東署に通行人から口頭で、平和通りで暴力団らしい者が猟銃の撃ち合いをしているという届け出があったのでこれを知ったのでございます。この届け出、電話等によりまして、十二時五分ごろに松山東署の署員、捜査係員六名ほどが直ちに現場に急行した。
つい最近私が東京から帰つて三時半に岐阜駅に着いたしまして、岐阜の目抜きのいわゆる平和通りというところを通りまして、柳瀬の交叉点に差掛りましたところが、その交叉点におきまして、一つの暴力團に属する者が他の暴力團に属する者をその路上において嬲り殺しにしておる。そうして市民は一町くらいの間隔を置きまして輪になつてこれを見ておる。何ら手の施しようがないというような実情にあるのです。