2015-07-01 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第16号
私も若いころ沖縄の返還闘争にかかわって、パスポートを持ち、時の那覇から糸満まで一週間、平和行進に参加したりした。そのときに町会の婦人の皆さんや町会議員の皆さんが泡盛を持ってきてくれて、三線も弾いてくれて、同時に戦争体験を聞いたりして、私はそのときに沖縄の置かれた立場というのを勉強しました。
私も若いころ沖縄の返還闘争にかかわって、パスポートを持ち、時の那覇から糸満まで一週間、平和行進に参加したりした。そのときに町会の婦人の皆さんや町会議員の皆さんが泡盛を持ってきてくれて、三線も弾いてくれて、同時に戦争体験を聞いたりして、私はそのときに沖縄の置かれた立場というのを勉強しました。
総理も御出席いただいております毎年六月二十三日の沖縄の慰霊の日でありますけれども、この日は、朝から遺族会の主催で全国戦没者慰霊平和行進が行われておりまして、もう全国から戦没者の御家族が、朝たしか九時出発だったと思いますけれども、二時間以上掛けて慰霊の日の式典会場まで歩いていかれます。
「四月二十八日 「主権回復」政府式典に反対する沖縄大会」「五月十九日 平和行進 全国の労働者・学生とともに、「新基地建設反対・オスプレイ配備反対」の声を上げてねり歩いた。」「六月 映画「ひまわり」上映会」「八月 怒りが燃えあがったオスプレイ配備反対行動」「十二月 秘密保護法反対! 辺野古新基地建設反対!」とさまざまな活動を学生ライフとしてやられているわけですね。
復帰しましたあの年も大変な大雨で、今も記憶にはっきりと残っておりますが、十四、十五は平和行進が行われまして、これまた雨の中での平和行進でした。十五日は、平和行進は南コース、東コース、西コース全部宜野湾市の海浜公園に集まりまして、県民大会が開かれました。
ところが、実際にはどうかといいますと、例えば、昨年、兵庫県で平和行進を知らせるポスターを張っていたら逮捕されてしまったとか、あるいは、一昨年は茨城県で有事法制反対のポスターを張ったら屋外広告物法違反だと、条例違反だとして警察の妨害を受けたとか、こういう問題が後を絶ちません。
昨年、兵庫では、平和行進が通りますよという案内ポスターを張っただけで逮捕されています。平和行進が通り過ぎれば外すことは明らかなのに、こんなことが起こっています。大阪では、平和盆踊りのポスターでも逮捕されています。美観を口実に、国民の権利、表現の自由、政治活動の自由が制限されることがまかり通るとすれば、私は恐ろしいことだと思います。そういう意味で徹底していただきたいと思います。
沖縄では、全国から多くの人々が集まって、米軍基地の整理縮小や有事法制廃案を求めて、雨の降る中に平和行進を行っております。今から半世紀前、唯一の地上戦を強いられ、二十三万八千人もの沖縄の人々がとうとい命を奪われた、実に凄惨な戦争でありました。 国家防衛を理由にして、老若男女を問わず、あらゆる沖縄県民が強制的に戦争に動員され、集団自決まで強いられたのでした。
実は、昨日とおとといの二日間、私は車いすで平和行進に参加してきましたが、その間感じたことは、憲法九条の重みをしみじみと感じました。今こそ、憲法九条の重みを世界に伝えていくいい時期であると思います。
やはり非常に厳しい現実がありますし、その部会の勉強会の中には、きょう一部新聞にも出ておりましたが、今回のイスラエル軍の攻撃の中で、あくまでも非暴力で抵抗、抗議をするという平和行進をしている途中、イスラエル軍の威嚇射撃で足を負傷された清末さんという女性も、現実に威嚇射撃を受けた、まだ足には破片を残したまま日本に十四日帰国をされた、その方もおいでになっていました。
本土の仲間たちも三百五十名参加してくれまして、そして翌十一日から辺戸岬を起点にして平和行進をずっと続けて、汗にほこりにまみれて歩き続けておりますので、あすの夕方A、B、Cの三コースにわたる平和行進団が那覇の与儀公園に結集しまして、いわゆる沖縄の復帰二十年記念の決起大会を持つわけであります。
実は五月十日、二十年ぶりにあの辺戸岬で決起大会を持ちまして、与論島とかがり火大会をいたしまして、魂と魂のぬくもりを訴えながら過ごしまして、翌十一日から、A、B、Cの三班に分けて今平和行進の最中でございます。そしてあさって、五・一五、十五日、いよいよ復帰二十年の式典が国においても現地沖縄においても行われるわけでありますが、その最中でございます。
そういうようなことを感じれば感じるほど、五月十五日という沖縄復帰の日を記念日として、私どもの言葉で使います平和行進というので沖縄全体を歩こうということで何度か歩きながら、目で見たり足で確かめて行動したことを感じます。よく沖縄の方が使われる言葉でありますけれども、まさに基地の中にある沖縄だということを実感として味わっておりました。
アメリカの平和運動にしても、あの八二年、ちょうど国連の第二回の軍縮特別総会が開かれたときでありますが、あのときには百万人を超えるニューヨークの歴史的な大デモというのがありまして、あれほどの規模のものは確かにその後ございませんけれども、別な形では、一年近くかけまして昨年もアメリカ大陸横断の平和行進というようなものも行われておりまして、そういう平和を願う反核平和の流れというのはやはり脈々と強くアメリカ国内
ところが、ことしの平和行進なんかでは既に自治体の長で千十七人、それから地方議会の議長さんで千二百十六人、合計すると二千二百三十三人の方が被爆者援護法制定の決議に賛成署名をされておるわけなんです。広島の御出身でもございますし、大臣の自民党に所属する議員としての立場と大臣の立場と二律背反かもわかりませんが、こういう現実をどう受けとめておられるのか、大臣の御所見をお尋ねしておきたいと思います。
すでに、憲法が禁じている検閲まがいの検定によって、高校の教科書「現代社会」は、二十一冊にわたって、実に一万カ所に及ぶ訂正が行われ、原爆反対の平和行進の写真が削られ、憲法違反の自衛隊は合憲が明記され、安保条約は平和に寄与するものと書きかえられました。
○津金委員 あなたはそういうふうにおっしゃって問題の焦点をはぐらかそうとされておるわけでありますが、たとえば、現実の事態として岩国においては、原水禁運動の中で原水禁世界大会、この平和行進に対しジープでこれを尾行する、あるいはその宣伝内容を録音にとる、あるいは沖繩の青年代表を迎えて開かれた岩国の医師会館における集会の参加者を写真撮影をする。これは一般市民を写真撮影をしておるわけであります。
(4) 本月間は8月原水禁大会成功を目ざして日本原水協が各地区において平和行進、教宣活動等を実施し、その中にN基地化反対を織り込んでいたが、N反対運動としては表立った動きは見られなかった。
協定の成立後十日もたたない八月一日に、協定成立の祝賀と護護を要求する平和行進がサイゴンで行なわれた。これに対して機関銃を撃ち込み、婦女子を含む数十人の市民を殺した。また、ことに民族解放闘争の激しかったミト地方の全住民を取り調べ、独立闘争参加者とわかったもの全部を獄にぶち込んだ。それから五九年にはフーロイ政治犯収容所では、青酸カリらしい毒物をこの収容者に飲まして、一挙に六千人余を毒殺しております。
近くは母親大会において、母親大会に出席する者は一体だれとだれかというようにさっそく奥さんたちの氏名を調べに行ったり、あるいは平和行進に参加する者は一体だれか、あるいはそれを企てた者はだれかというようなことをさっそく調べに行く。そうすると平和運動なんかはできぬじゃないですか。平和運動が共産党の支配によってというようなことをいつも理由づけられる。そうして無辜の国民大衆に対して脅威を与える。
まず、不法事犯としてわれわれがとらえております問題の一つは、護国団による全学連自治会代表者会議の妨害及び同護国団が行いました平和行進に対する暴行事案を一つ考えております。それからもう一つは、大日本愛国党によりまする八月五日の記念式典に対する自動車の乗り入れ妨害という事案を一つ考えておるのでございます。
○藤田進君 予想するしないといっても、あの平和行進が入ってきてですね。これはもう五日じゃないわけで、逐次もよりに入ってきた。一日ごろから、もう広島市の周辺に入ってきた。そうしてそれに対するに、右翼の諸君は機動力でやってきた。これは容易に予想ができるし、当時の新聞も報道をして、そういう心配をしていたところなんです。そこに、予想をはずれたとおっしゃるけれども、故意に予想しなかったようにしか思えない。
○説明員(江口俊男君) ただいま私が申し上げましたその全学連の集会に対する妨害あるいは平和大会に対する妨害あるいは平和行進に対する妨害という面については、他の団体と一緒になってやっておるようには聞いておりません。しかし、あとで、先ほど御説明申し上げました法に触れるかどうかとう点について疑問があるけれども、いやがらせというような意味で、調べておるというような中には、もちろん他の団体もございます。