僅かに生き残りました四名の船員がパナマ船に助けられまして帰國いたしました。この船員の口によつてこの遭難事情が判明をした次第でございます。そこでこれらの船舶が拿捕せられまして、船員が未帰還であるということは非常に遺憾でございます。
○平田説明員 先般シヤウプ使節團の税制改正に関する勧告案が公表になりましたけれども、実はこれはまだ勧告の概要で、シヤウプ博士がアメリカに帰國されるにつきまして発表になつたのでございまして、正式のマツカーサー元帥に対する報告書というのは実は今印刷作成中なのであります。從つて先般の発表は事前の概要の発表ということになるわけでございます。
このほかに一應縁故先をたどつて帰國した者の中にも約二〇パーセントは、せつかく目的地に入つたが、たよるべき何らの寄り辺もなく、失望に終つた者があるような状態でありまして、これらを合算すると、現在までの無縁故者の数は十万を越えておる。
即ち食糧等についての惡條件下、一面、作業についての要望を満たしつつ、他面、隊員に体力を維持するという重大なる責任を果すため、外蒙側と部隊側との中間に立つて最も適切なる調節手段を講ずべきであるに拘わらず、早く帰國するためには作業成績を挙ぐるに如かずとの最初からの観念を固執し、ただ外蒙側の要求するところのみに從い、隊員に対する顧慮薄きに過ぎ、大なる苦痛を與え、その頽廃すら招き、個人の性格、指揮の幼稚、過去
それが外國に輸出されるということは、どういうことであるか、五月三日U・P電報によりますと、アメリカから來た対日くず鉄調査団が帰國後國務長官に報告している中に池日本の七百万トンのくず鉄を輸出する能力があることが述べられております。これは、アメリカからその代りにくず鉄を使用してできる機械その他の製品を日本の輸出するという意味合を含めておると見られるのであります。
一般未帰還者に対する給與の請願(三件)(委員長報告) 第五九 未復員者、特別未帰還者両給與法改正等に関する請願(委員長報告) 第六〇 引揚者の開拓及び帰還に関する請願(委員長報告) 第六一 農漁村における引揚者住宅建設助成の請願(委員長報告) 第六二 上椎葉水力発電所建設に引揚者優先起用の請願(二件)(委員長報告) 第六三 引揚者の中小企業に対し融資の請願(委員長報告) 第六四 北朝鮮残留者の帰國促進
一般未帰還者に対する給與の請願(三件)(委員長報告) 第四三 未復員者、特別未帰還者両給與法改正等に関する請願(委員長報告) 第四四 引揚者の開拓及び帰農に関する請願(委員長報告) 第四五 農漁村における引揚者住宅建設助成の請願(委員長報告) 第四六 上椎葉水力発電所建設に引揚者優先起用の請願(二件)(委員長報告) 第四七 引揚者の中小企業に対し融資の請願(委員長報告) 第四八 北朝鮮残留者の帰國促進
○阿部証人 在留邦人は帰國を本当に熱望しております。何とぞ今まで御努力されていることは十分承知しておりますが、尚一層の御配慮あらんことをお願いたします。
こうしたときにおいて、帰國の順位が佐官の人達が残るということは止むを得ないのではないか、こう私は考えるのでありまして、ここにおいてやはり最後のそうしたことは、船が來るか來ないかということにおいて決まる。船が十分にナホトカに來たところの復員者を收容し、帰國せしめることができない場合には、やはりここに帰國順位というものができる。
一般未帰還者に対する給與の請願(三件)(委員長報告) 第五二 未復員者、特別未帰還者両給與法改正等に関する請願(委員長報告) 第五三 引揚者の開拓及び帰農に関する請願(委員長報告) 第五四 農漁村における引揚者住宅建設助成の請願(委員長報告) 第五五 上椎葉水力発電所建設に引揚者優先起用の請願(二件)(委員長報告) 第五六 引揚者の中小企業に対し融資の請願(委員長報告) 第五七 北朝鮮残留者の帰國促進
○飯塚委員 本請願の要旨は、終戰後朝鮮よりの引揚者は手荷物一個、現金一千円以上の携行を許されず、超過所持金は政府の方針に従い、全額郵便貯金として預け入れ帰國した。帰國後は一箇月一口五百円づつの拂もどしを受けていたが、その後政令により第一、第二と分割封鎖され、財産税を課せられた上、昭和二十三年七月には第二封鎖の三割を切り捨てられたため、引揚者は窮乏の生活に苦しんでいる。
主人がナホトカまで出て來ておるということは再三帰國せられたお方から、健在だから近いうちには帰られるだろうという健在のお手紙を再三頂いておつたものですから安心しておつたんです。この美登志さんからのお手紙も主人がハバロフスクの奧地から出て來たときに、美登志さんは体が悪いそうで病院へ入院せられまして、医務室の看護を交代する時期になつておりまして、主人がその美登志さんの看護に当つたのであります。
昭和二十二年の十一月三日に帰國のためにヤルシヤンスクを出発いたしまして、十二月一日にナホトカに到着いたしました。当時輸送の終末、停止に会いまして、ナホトカで越冬することになりました。私共の梯團は、当時將校六百名、市民六百名、併せて約千二百名の梯團でありましたが、翌二十三年の五月三日の輸送再開と同時に、この梯團は第一陣として帰國いたしましたが、私を含む十八名の將校は……元將校であります。
1、本人はハバロフスクにおいて民主グループに属し(帰國の目的を以て昨年十一月十四日千名に梯團長になつてナホトカに至る)、 2、ナホトカにおいて民主グループに入り衞生兵の故を以て医務室に勤務し、それまで医務室は民主運動の旋風より比較的遠ざかつていたのを、本人が勤務してより急に民主化を促進した。
一般未帰還者に対する給與の請願(三件)(委員長報告) 第五二 未復員者、特別未帰還者両給與法改正等に関する請願(委員長報告) 第五三 引揚者の開拓及び帰農に関する請願(委員長報告) 第五四 農漁村における引揚者住宅建設助成の請願(委員長報告) 第五五 上椎葉水力発電所建設に引揚者優先起用の請願(二件)(委員長報告) 第五六 引揚者の中小企業に対し融資の請願(委員長報告) 第五七 北朝鮮残留者の帰國促進
○天田勝正君 次に伺いますが、小林証人は何か一旦奥地に送られて、それから更にナホトカから帰國したのである、こういうふうに聞いておる向もあるわけであります。そういう事実がありましたかどうか。
○矢野酉雄君 帰國なすつてからそれらが公報を以て通知されているというような何か事実をお掴みになつたことがありますか。日本にお帰りになつてから……
又中共地区に残された六万の同胞は戰塵尚收まらざる中にあつて、昨二十三年八月以降、帰還の途も全く途絶え、帰國の希望も失われんとするかの中に労苦を重ねておられるのであります。
帰國さしておつた。それを利用したのであります。そうすると一週間だげの開きはありますが、これを月経週期と照らしますと、どういう時期に妊娠するかということの統計がとれるわけであります。折角の機会だというので、これを利用しまして、でき上つたのはそういう成績になつたのであります。
ところが二十二年の暮から栄養失調に罹りまして、ナホトカにおいてすべての人達が帰つた後、あの收容所の拡充のために僅かの人達であそこでやつておりまして、そうして新らしく輸送が二十二年度始まつた際におきまして、身体が惡くてあそこにおいて勤まらなくて、止むを得ず皆に勧められて私は帰國したのであります。
それと、今吉村氏が言われましたベーチカは、帰國前に、帰國の直ぐ前に、採石山の監督が住居にするというので、隊長に命じてそこに丈夫なベーチカを拵えさせたということは事実であります。
○矢野酉雄君 又、帰國されてから後、当時を顧みられて、吉村隊長に対するあなたの人物観、簡單でよろしうございますからお述べ願いたい。蒙古におくられたときに、吉村隊長にどういう氣持を持つておられたか。
例えば蒙古人、中國人、ソ連人においても、これは同様に行われていることであるし、特別に日本人だけに行われるべき性質のものではないというような話があつた、吉村氏が今現場の監督から突倒されたと言つて悲観をしている際に非常な激励を與えて、そして二、三ケ月のうちに帰國するというような当時のデマを一掃して吉村氏の決意を固めさせるに至つたのであります。