1996-05-30 第136回国会 衆議院 安全保障委員会 第7号
実は私は、昔の話ですが、昭和三十三年に、当時総評という労働組合のナショナルセンター華やかな時代に筆頭副議長をやっていまして、第六次帰国船を北朝鮮の清津の港で迎えて、一次、二次、三次、四次、五次とお帰りになった方の調査をしてくるという使命をいただきまして、中国の安東から汽車で新義州に入りまして清津で帰国船を迎えて、五次までお帰りになった方、端からずっと歩いて生活状況その他を調べた時期がある。
実は私は、昔の話ですが、昭和三十三年に、当時総評という労働組合のナショナルセンター華やかな時代に筆頭副議長をやっていまして、第六次帰国船を北朝鮮の清津の港で迎えて、一次、二次、三次、四次、五次とお帰りになった方の調査をしてくるという使命をいただきまして、中国の安東から汽車で新義州に入りまして清津で帰国船を迎えて、五次までお帰りになった方、端からずっと歩いて生活状況その他を調べた時期がある。
私の妹は朝鮮人の夫李と幼い子供四人と共に昭和三十六年春まだ浅い三月朝鮮人民共和国の帰国船にのるべく言葉も生活も習慣も違ふ未知の国へ夫を信じ子供の幸福を信じて生れ育った南国の地から零下何十度と言ふ酷寒の地へと高知駅から汽車にのり旅立ちました あれから三十一年妹も六十三才になります 永い間便りも無く手紙も出せない暮しをしているのか案じられてなりません 若くして亡くなった母にかわり男手一つで育ててくれた
さて今、日本人妻の家族の名簿は整っているかということでございますけれども、今みたいな事柄の性格上、法務省の調べによりますと、昭和三十四年第一次新潟からの北朝鮮帰国船以来、北朝鮮へ帰られたいわゆる日本人妻の方というのは千八百三十一人というのが法務省の調べにございますけれども、その方たちの日本人の留守家族のすべての名簿というものは、正直整っておりません。
その一つの方法として、何か帰国船でも仕立てて一挙に何百人というようなことをしてみてはどうだろうかと、そういう方法もあっておるようでございますが、これはひとつ、大臣のこれに取り組む決意だけをお聞きして、終わりたいと思います。
百八十次の帰国船が新潟から出港いたしました。昭和三十四年でありますから、一九五九年開始されまして百八十次船が新潟から円満に友好的に出ておるわけであります。この間、約十万名の在日朝鮮人の皆さんが帰国をされていらっしゃるわけであります。この間ほとんど事故はありませんでした。
しかし当時の外務大臣なり政府なりあるいは外務当局は、新潟は何といいましても帰国船の出港地になっておる、外交上これにトラブルが起きるようなことも好ましくないだろう、新潟の対朝鮮との友好都市的な関係、現に果たしておる帰国事業についての新潟の貢献度、新潟県民感情、そういうようなものを理解されまして、領事館の設置を認めることによってトラブルが起きてもいかぬ、帰国事業に影響が出てもいかぬという配慮から、ある意味
しかも、その場所が港口のすぐ近くで、すぐそのわきを佐渡の大きな観光船が行き来しておるというふうな場所でございますし、ちょうど事故のあったときには、朝鮮の帰国船が入港しておったというふうなことがございまして、この狭い港口で、もしこういう船が事故を起こしたならば、これはたいへんなことになるんじゃないかと思いました。
しかも日本海側では最大の国際港、出入外国船の八〇%はソビエト船、最近は中国船、それから朝鮮民主主義人民共和国との関係におきましては、昭和三十四年以来人道の回復として、年々帰国船が新潟港を出入りして、現在も二カ月ないし三カ月に一回船が入っておる。
まあ五月には、日赤や朝鮮赤十字の努力で帰国船が参るような情勢です。これも中国と同じように、この国とも仲よくしていかなきゃならぬ。しかも学校もできまして、いまあまり問題もなく、前よりも問題もなく、日本の国民と一緒に平和に暮らしておるのでありますから、平地に波乱を起こすような法案は出すべきではないと思うのですけれども、どうしてきょう閣議にお出しになったか、もう一回大臣の心境を聞いておきたいと思います。
○松本(善)委員 この代表の入国問題ですけれども、いわゆる帰国船に代表が乗ってくるということについては、政府もコロンボでは同意をしているわけです。来るということは前提にしておりますから、これは当然に朝鮮赤十字会のほうでも同意できる、話をつける、こういうかまえだったと思うのです。
その趣旨は、すでに帰国を申請した一万七千余名はもとより、すべての在日朝鮮公民にとって帰国の道が保障されるかいなかは重大な人道上の問題であるので、帰国船の入港を認めるとともに、両赤十字会談を即時再開し、在日朝鮮公民の帰国事業が従来どおり保障されるよう適切な措置を講じられたいというものであります。 以上で御説明を終わります。
○実本説明員 五月二十八日の朝鮮赤十字会からの提案によりますと、その暫定措置の問題ということでなくて、とにかく六月の末に帰国船を入れたい、それを了承してもらいたい。
一四五号は、在日朝鮮公民の帰国に関するものでありまして、国際法と人道主義の諸原則、在日朝鮮公民の歴史的事情に照らして、帰国船の入港を認めるとともに、赤十字会談を即時再開し、帰国事業が従来どおり保障されるよう適切な措置を直ちに講じられるよう要望するものでございます。 以上で説明を終わります。
そこで問題は、ここまで問題がはっきりしてまいりますると、帰国船を朝鮮赤十字がソ連の好意によって雇いまして、そして入港させる。私はその法的手続を調べましたところ、運輸省においては、国際法上何ら異存もなければ拒絶する理由もない、また、船員が日本に短期間上陸することも、運輸省の規則によって何ら問題はない。
御参加になった田川元厚生次官も中国からお帰りになりましたから、いずれタイミングを見まして御相談を申し上げまして、そしてまた外務大臣の——政府が動くのでないのですから、政府は積極的に動かなくてもけっこうですが、御理解を得ねばならぬ順序になろうかと思いますが、昨日の政務次官の御答弁で満足でございますから、政務次官を通じて、また直接大臣にも申し上げまして、これが時期がおくれまして、ただいま昨年の十二月に帰国船
結局のところ帰国者は、従来どおり朝鮮側の帰国船で帰る以外に具体的には道はないのでありますが、この点は一体どのようにお考えになっておるのか。したがって、わが国と朝鮮との間に国交関係がない今日、日赤がこの事業を推進し、帰りたい人々を引き続き帰国させなければならないと存じます。
しかし、現在の段階では、非常に困難な情勢の中でもって朝鮮に帰っておるというこの立場を見た場合に、この帰国協定による帰国業務というものが、新潟から清津に向けての帰国船によって帰ることが最もこれは合理的であり、最も安全であり、最も近道である、こういうことだけは疑いない事実なんだ。それならば、これにかわるべきもっと有効な、もっと適切な、安全な方法があるかといえば、これは全然ないのでございます。
したがって、きょう入港をいたします帰国船に朝鮮赤十字の代表の方もおるようでありますから、日本赤十字を代表する方も新潟へきょう赴いておられて、非公式に接触をして、そして八日十二日締め切り後の事態を踏まえて正式な会談をしようということを申し入れられるわけです。
第六次帰国船が新潟から清浄に帰るにあたりまして、帰った方々は一体どんなことになっているんだろうかという疑問が私どもにわいた。そこで私、当時、今日の総評本部の副議長の時代ですが、私は代表団長で朝鮮に参りまして、清津の港で第六次帰国船が帰ってくるのを、これは日本人は初めてですが、迎えてみた。それまでに半月かかりまして、帰った方々がどうなっているか、それから、受け入れのやり方を調査した。
これは社会主義の国へ行ってみたのですが、新潟からの第六次帰国船を清津で迎えて、そして記念にサクラの木を五十本大成公園の広場に植えようとした。そのサクラの木も、めったなことでは検査が通らない。たいへんな検査ですよ。町の木をながめてみたって、みんな消毒薬があらゆる木にちゃんと塗ってある。だから、外から入ってくる害虫については、徹底的に検査をして、そうなっておる。私はそれがほんとうだと思うのですよ。
これを逆に、一片の通牒で、向こうから手紙で来て、帰国船はもう行きませんといったらどういう気持ちがするでしょう。したがって、手続において多少とも礼節を欠いたことを遺憾に思います。