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63件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1996-05-30 第136回国会 衆議院 安全保障委員会 第7号

実は私は、昔の話ですが、昭和三十三年に、当時総評という労働組合のナショナルセンター華やかな時代に筆頭副議長をやっていまして、第六次帰国船北朝鮮清津の港で迎えて、一次、二次、三次、四次、五次とお帰りになった方の調査をしてくるという使命をいただきまして、中国の安東から汽車で新義州に入りまして清津帰国船を迎えて、五次までお帰りになった方、端からずっと歩いて生活状況その他を調べた時期がある。

大出俊

1991-03-07 第120回国会 衆議院 予算委員会 第20号

私の妹は朝鮮人夫李と幼い子供四人と共に昭和三十六年春まだ浅い三月朝鮮人民共和国帰国船にのるべく言葉も生活も習慣も違ふ未知の国へ夫を信じ子供の幸福を信じて生れ育った南国の地から零下何十度と言ふ酷寒の地へと高知駅から汽車にのり旅立ちました  あれから三十一年妹も六十三才になります  永い間便りも無く手紙も出せない暮しをしているのか案じられてなりません  若くして亡くなった母にかわり男手一つで育ててくれた

菅原喜重郎

1985-04-03 第102回国会 参議院 外務委員会 第4号

さて今、日本人妻家族名簿は整っているかということでございますけれども、今みたいな事柄の性格上、法務省調べによりますと、昭和三十四年第一次新潟からの北朝鮮帰国船以来、北朝鮮へ帰られたいわゆる日本人妻の方というのは千八百三十一人というのが法務省調べにございますけれども、その方たちの日本人留守家族のすべての名簿というものは、正直整っておりません。

後藤利雄

1978-04-12 第84回国会 衆議院 外務委員会 第13号

しかし当時の外務大臣なり政府なりあるいは外務当局は、新潟は何といいましても帰国船出港地になっておる、外交上これにトラブルが起きるようなことも好ましくないだろう、新潟の対朝鮮との友好都市的な関係、現に果たしておる帰国事業についての新潟貢献度新潟県民感情、そういうようなものを理解されまして、領事館の設置を認めることによってトラブルが起きてもいかぬ、帰国事業に影響が出てもいかぬという配慮から、ある意味

米田東吾

1972-06-09 第68回国会 参議院 災害対策特別委員会 第6号

しかも、その場所港口のすぐ近くで、すぐそのわきを佐渡の大きな観光船が行き来しておるというふうな場所でございますし、ちょうど事故のあったときには、朝鮮帰国船入港しておったというふうなことがございまして、この狭い港口で、もしこういう船が事故を起こしたならば、これはたいへんなことになるんじゃないかと思いました。

塚田大願

1971-03-16 第65回国会 参議院 予算委員会 第15号

まあ五月には、日赤朝鮮赤十字の努力で帰国船が参るような情勢です。これも中国と同じように、この国とも仲よくしていかなきゃならぬ。しかも学校もできまして、いまあまり問題もなく、前よりも問題もなく、日本の国民と一緒に平和に暮らしておるのでありますから、平地に波乱を起こすような法案は出すべきではないと思うのですけれども、どうしてきょう閣議にお出しになったか、もう一回大臣の心境を聞いておきたいと思います。

小柳勇

1968-12-20 第60回国会 参議院 外務委員会 第2号

その趣旨は、すでに帰国を申請した一万七千余名はもとより、すべての在日朝鮮公民にとって帰国の道が保障されるかいなかは重大な人道上の問題であるので、帰国船入港を認めるとともに、両赤十字会談を即時再開し、在日朝鮮公民帰国事業が従来どおり保障されるよう適切な措置を講じられたいというものであります。  以上で御説明を終わります。

瓜生復男

1968-08-08 第59回国会 参議院 外務委員会 第2号

一四五号は、在日朝鮮公民帰国に関するものでありまして、国際法人道主義の諸原則、在日朝鮮公民歴史的事情に照らして、帰国船入港を認めるとともに、赤十字会談を即時再開し、帰国事業が従来どおり保障されるよう適切な措置を直ちに講じられるよう要望するものでございます。  以上で説明を終わります。

瓜生復男

1968-08-07 第59回国会 衆議院 外務委員会 第1号

そこで問題は、ここまで問題がはっきりしてまいりますると、帰国船朝鮮赤十字がソ連の好意によって雇いまして、そして入港させる。私はその法的手続調べましたところ、運輸省においては、国際法上何ら異存もなければ拒絶する理由もない、また、船員が日本に短期間上陸することも、運輸省の規則によって何ら問題はない。

帆足計

1968-03-13 第58回国会 衆議院 外務委員会 第3号

御参加になった田川元厚生次官中国からお帰りになりましたから、いずれタイミングを見まして御相談を申し上げまして、そしてまた外務大臣——政府が動くのでないのですから、政府は積極的に動かなくてもけっこうですが、御理解を得ねばならぬ順序になろうかと思いますが、昨日の政務次官の御答弁で満足でございますから、政務次官を通じて、また直接大臣にも申し上げまして、これが時期がおくれまして、ただいま昨年の十二月に帰国船

帆足計

1967-09-08 第56回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

しかし、現在の段階では、非常に困難な情勢の中でもって朝鮮に帰っておるというこの立場を見た場合に、この帰国協定による帰国業務というものが、新潟から清津に向けての帰国船によって帰ることが最もこれは合理的であり、最も安全であり、最も近道である、こういうことだけは疑いない事実なんだ。それならば、これにかわるべきもっと有効な、もっと適切な、安全な方法があるかといえば、これは全然ないのでございます。

田邊誠

1967-06-09 第55回国会 衆議院 内閣委員会 第17号

第六次帰国船新潟から清浄に帰るにあたりまして、帰った方々は一体どんなことになっているんだろうかという疑問が私どもにわいた。そこで私、当時、今日の総評本部の副議長時代ですが、私は代表団長朝鮮に参りまして、清津の港で第六次帰国船が帰ってくるのを、これは日本人は初めてですが、迎えてみた。それまでに半月かかりまして、帰った方々がどうなっているか、それから、受け入れのやり方を調査した。

大出俊

1967-05-30 第55回国会 衆議院 内閣委員会 第13号

これは社会主義の国へ行ってみたのですが、新潟からの第六次帰国船清津で迎えて、そして記念にサクラの木を五十本大成公園の広場に植えようとした。そのサクラの木も、めったなことでは検査が通らない。たいへんな検査ですよ。町の木をながめてみたって、みんな消毒薬があらゆる木にちゃんと塗ってある。だから、外から入ってくる害虫については、徹底的に検査をして、そうなっておる。私はそれがほんとうだと思うのですよ。

大出俊