1995-02-09 第132回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号 あのとき彼は、帝都復興構想として、四十億構想というのを出したのは有名でございます。ところが、当時、きょうも大蔵省の高官が来ておりますけれども、大蔵大臣井上準之助らにさんざんたたかれまして、結果的には四十億円構想が七億二百万の構想に圧縮されたという経過がございます。そのために、昭和通りも雄渾な計画が半減しまして、現在のように五十メーター道路になってしまった、こういう経緯があります。 野呂田芳成