2002-04-08 第154回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第1号
○山口政府参考人 御指摘のございました洞御陵地でございますが、帝室林野局から昭和十五年に陵墓地として諸陵寮、現在の宮内庁書陵部陵墓課の前身でございます宮内省諸陵寮に移管されたものでございます。その移管をするという旨の帝室林野局長官からの書類などはございますが、それ以外の書類が現在見当たらないため、移管に関するそれ以上の経緯はちょっと私の方でも確認できておりません。
○山口政府参考人 御指摘のございました洞御陵地でございますが、帝室林野局から昭和十五年に陵墓地として諸陵寮、現在の宮内庁書陵部陵墓課の前身でございます宮内省諸陵寮に移管されたものでございます。その移管をするという旨の帝室林野局長官からの書類などはございますが、それ以外の書類が現在見当たらないため、移管に関するそれ以上の経緯はちょっと私の方でも確認できておりません。
○山口政府参考人 先ほど申しましたように、帝室林野局から諸陵寮に移管されたのは事実でございますが、その帝室林野局以前のことは、現在の宮内庁書陵部陵墓課の方には資料がないということでございます。
そして、一千万立米ぐらいというと要員の数でいいますと、これも資料を見てみましたら、林政統一前に、林政統一は二十二年ですか、以前の帝室林野局と山林局でやっていたときでは一千万立米ぐらいの経営を一万人ぐらいでやっていたというんですね。そうすると、いまだにまだ人が多いじゃないかという議論もある。
この経緯は、御案内のように、昭和十四年に当時の帝室林野局が木材の円滑な搬出、運送を目的といたしまして取得したわけでございます。その後昭和二十四年になりまして国有林野事業がその株券を引き継いだものでございます。しかしながら、その後林業をめぐる情勢の変化によりまして、昭和六十三年あたりになりましてほとんど運材料がなくなったということで、トラックによる運材部門を士別軌道株式会社は廃止いたしました。
それからまず御料林になりまして、帝室林野局になり、国有林になってきたというようないきさつがございまして、割合に自然林がそのまま厳正に管理されてきたというようなところでございます。
というのは、僕はこう見ておって、国有林の経営の状態はとにかくあの昔の帝室林野局におったころからの考え方から一歩も出ていません。頭が古。特別会計になったんだから経営分析をやって、どういうふうにしてもうけるところではちゃんともうけて経営を健全に持っていくかというような頭がない、どうもそういう感じです。その頭の切りかえをやらさなければいけませんよ。
一号は「二等又ハ三等ノ帝室林野局出仕」、二号、三号、四号とずっとありますね。いまこのようになっていますか、それを聞いているんですよ。この法律が生きているんですか。字句が違うだけですか、どうなんですか、これ。ずっと読んでみてどう思われますか、それを私は伺っているんですよ。と申し上げますのは、結局司法職員の共助には欠くべからざる者の法制なんですよね。
それから「司法警察官吏及司法警察官吏ノ職務ヲ行フヘキ者ノ指定等ニ関スル件」につきましては、先ほど申し上げましたように、この中で第三条というのがございまして、多少古い規定でございますので、当時のいろいろなたとえば「二等又ハ三等ノ帝室林野局出仕」とか「監獄又ハ分監ノ長タル者」云々とか、「営林局署勤務ノ農林事務官及農林技官」とかいろいろな職種が定められておるわけでございます。
同営林局は、昭和二十二年の林政統一により旭川地方帝室林野局の改組によって設置されたものであり、現在の組織は、本局が三部一室十二課から成り、局の下に二十五の営林署と百六十の担当区事務所が配置されているのであります。 職員は、五十二年四月一日現在、定員内職員が二千五百一十一名、常用作業員等の定員外職員が同年七月一日現在で二千五十六名となっております。
○清水委員 時間もありませんから先に進まざるを得ませんが、しかし、これは高野さんも理解をされていると思いますが、中小の業者から見ると、林野庁というのは、昔から、帝室林野局などというサーベルを下げた時代からの非常にこわいイメージがございまして、余り無理をさせないんだ、話し合いでスムーズにいくようにしているんだというような、ここでは柔軟な言い方をなさるのですけれども、しかし、現実には、うっかり抵抗をしたり
○政府委員(富田朝彦君) ただいまのお尋ねの中に例が出てまいりました武藤さん、恐らくこれは戦前にそういうお話をされたんだろうと承知いたしますが、これは、戦前は御案内のように帝室林野局を所管をいたしておりまして、また、若干の証券類もお持ちであったことは事実でございます。
帝室林野局時代、これから後にはいまの林野庁、それから林野庁から一歩進めて下請制度を直用にしたという問題、その上においては技術屋が必要であるといいながら、技術的な問題では、今度、のこぎりの問題で新しい白ろう病が起こるとかいろいろな問題が起こっておるわけです。そういう問題もやはり爼上にのせて、基本的な林野行政というものを定着させ、確立させると同時に、労働問題をどのようにして考えていくか。
これはどこのものかといったらば帝室林野局とか山林局の林でございました。ところが今日は、私いま山へ登ります。去年も槍へ行っております。秩父にも行っております。ひどいな、皆伐してこんなところまで切ってというと、これはたいがい林野庁の国有林でございます。すなわち林野行政というものが森林伐採のみを、独立採算制の観点もあると思いまするが、そういう問題を強くやっております。
昔、御用林といっておったころは帝室林野局がそれをやっていたものです。戦後、林野庁になってから国有林と名前が変わったわけです。
そうして山で昔何か短剣みたいなものつっておった帝室林野局の考え方で、そしていなかのおっちゃんは山の木を切りに来いというと、はいなんていつでも来るような感覚で、そしていま処遇をしている。こういう実態で林野庁が将来も続けていくならば、最も近い将来において労働力の確保できなくなるであろう。そして民間に移してみたところが、日本の山は守ることができなくなるであろう。私らはそう思っておるのです。
それからもう一つは昔の帝室林野局というのですか、何かゴボウ剣を下げておったときの思想がまだ流れていて前時代的な経営をしておるのが林野庁。この二つというのはどうも日本の政府のやっている仕事の大きなガンじゃないか、私はそう思っているのです。
昔、御料林というと帝室林野局がこれをちゃんと管理しておった、戦後国有林と名前が変わり、林野庁が管理しておる、これには管理か行き届いたものであり、われわれ平民は一切手を触れることができない、こう思っておった。
もう帝室林野局時代に実測もしておりますし、等高線も入っておりますし、空中写真で写したのもございますし、いろいろ宮内庁でとりそろえた資料もございます。
○政府委員(瓜生順良君) ここに「帝室林野局五十年史」というものの抜粋があるのでそれを見ますと、先生がおっしゃいます四千二百一坪にちょうど当たるのは、「明治二十二年外務省用地四千二百一坪」……。
それと農林省所管の内地国有林、それから帝室林野局所管の御料林というものを統一した際に、特別会計の独立採算制という制度を打ち出したわけでございます。しかし、それ以前の国有林の運営というのは一般会計で実はやっておったわけでございますが、その収支関係を調査いたしますと、収入に対して支出面はずっと——ずっとと申しますか、下回った形で行なわれておりました。
戦前帝室林野局、こういったような形等でやっておりました時代と制度が変わっておる。戦前戦後における国有林野の交付金について制度が変わってきましたから、直接の比較というのがちょっと困難であるのでありますけれども、交付金の考え方といたしまして、現在国有林野所在市町村交付金というものが、これは御存じのとおり法律に従ってやっております。
この鉄道というものは、さかのぼれば、帝室林野局というものが昔あったのですね。国有林の広大な面積、皇室の財産であったという時代があるわけですね。そういう沿革が実はあるわけなのです。それが今度は大蔵財産に継承されて、それから北炭あるいは現在の天塩鉄道というふうに、その持ち株というものは所有形式が変遷しておるわけです。