2004-10-28 第161回国会 参議院 国土交通委員会 第2号
そこから砂防事業というのが実は始まるわけでございますが、山を守ることがいかに大事かということは織田信長が証明をしてくれまして、徳川幕府になりまして、それで天領として山を守り、それが明治維新政府になるといわゆる帝室林野という、今の林野庁につながってくるわけですけれども。
そこから砂防事業というのが実は始まるわけでございますが、山を守ることがいかに大事かということは織田信長が証明をしてくれまして、徳川幕府になりまして、それで天領として山を守り、それが明治維新政府になるといわゆる帝室林野という、今の林野庁につながってくるわけですけれども。
○山口政府参考人 御指摘のございました洞御陵地でございますが、帝室林野局から昭和十五年に陵墓地として諸陵寮、現在の宮内庁書陵部陵墓課の前身でございます宮内省諸陵寮に移管されたものでございます。その移管をするという旨の帝室林野局長官からの書類などはございますが、それ以外の書類が現在見当たらないため、移管に関するそれ以上の経緯はちょっと私の方でも確認できておりません。
○山口政府参考人 先ほど申しましたように、帝室林野局から諸陵寮に移管されたのは事実でございますが、その帝室林野局以前のことは、現在の宮内庁書陵部陵墓課の方には資料がないということでございます。
そして、一千万立米ぐらいというと要員の数でいいますと、これも資料を見てみましたら、林政統一前に、林政統一は二十二年ですか、以前の帝室林野局と山林局でやっていたときでは一千万立米ぐらいの経営を一万人ぐらいでやっていたというんですね。そうすると、いまだにまだ人が多いじゃないかという議論もある。
この経緯は、御案内のように、昭和十四年に当時の帝室林野局が木材の円滑な搬出、運送を目的といたしまして取得したわけでございます。その後昭和二十四年になりまして国有林野事業がその株券を引き継いだものでございます。しかしながら、その後林業をめぐる情勢の変化によりまして、昭和六十三年あたりになりましてほとんど運材料がなくなったということで、トラックによる運材部門を士別軌道株式会社は廃止いたしました。
これは大正十年帝室林野管理局木曽支局の上松出張所の運輸部門というのが独立をいたしまして今日に至っているところでありますけれども、昭和五十年に王滝森林鉄道が廃止されましてからは、上松、王滝両営林署の木材販売を主に担当してまいりました。
それからまず御料林になりまして、帝室林野局になり、国有林になってきたというようないきさつがございまして、割合に自然林がそのまま厳正に管理されてきたというようなところでございます。
というのは、僕はこう見ておって、国有林の経営の状態はとにかくあの昔の帝室林野局におったころからの考え方から一歩も出ていません。頭が古。特別会計になったんだから経営分析をやって、どういうふうにしてもうけるところではちゃんともうけて経営を健全に持っていくかというような頭がない、どうもそういう感じです。その頭の切りかえをやらさなければいけませんよ。
一号は「二等又ハ三等ノ帝室林野局出仕」、二号、三号、四号とずっとありますね。いまこのようになっていますか、それを聞いているんですよ。この法律が生きているんですか。字句が違うだけですか、どうなんですか、これ。ずっと読んでみてどう思われますか、それを私は伺っているんですよ。と申し上げますのは、結局司法職員の共助には欠くべからざる者の法制なんですよね。
それから「司法警察官吏及司法警察官吏ノ職務ヲ行フヘキ者ノ指定等ニ関スル件」につきましては、先ほど申し上げましたように、この中で第三条というのがございまして、多少古い規定でございますので、当時のいろいろなたとえば「二等又ハ三等ノ帝室林野局出仕」とか「監獄又ハ分監ノ長タル者」云々とか、「営林局署勤務ノ農林事務官及農林技官」とかいろいろな職種が定められておるわけでございます。
同営林局は、昭和二十二年の林政統一により旭川地方帝室林野局の改組によって設置されたものであり、現在の組織は、本局が三部一室十二課から成り、局の下に二十五の営林署と百六十の担当区事務所が配置されているのであります。 職員は、五十二年四月一日現在、定員内職員が二千五百一十一名、常用作業員等の定員外職員が同年七月一日現在で二千五十六名となっております。
○清水委員 時間もありませんから先に進まざるを得ませんが、しかし、これは高野さんも理解をされていると思いますが、中小の業者から見ると、林野庁というのは、昔から、帝室林野局などというサーベルを下げた時代からの非常にこわいイメージがございまして、余り無理をさせないんだ、話し合いでスムーズにいくようにしているんだというような、ここでは柔軟な言い方をなさるのですけれども、しかし、現実には、うっかり抵抗をしたり
○政府委員(富田朝彦君) ただいまのお尋ねの中に例が出てまいりました武藤さん、恐らくこれは戦前にそういうお話をされたんだろうと承知いたしますが、これは、戦前は御案内のように帝室林野局を所管をいたしておりまして、また、若干の証券類もお持ちであったことは事実でございます。
六十年ほど前に、当時これは帝室林野の財産でしたが、帝室林野でこれを自然環境を保全する意味で植林したのが、現在六十年余りの成木になっている。これが開発地域のまん中にあるんです。
帝室林野局時代、これから後にはいまの林野庁、それから林野庁から一歩進めて下請制度を直用にしたという問題、その上においては技術屋が必要であるといいながら、技術的な問題では、今度、のこぎりの問題で新しい白ろう病が起こるとかいろいろな問題が起こっておるわけです。そういう問題もやはり爼上にのせて、基本的な林野行政というものを定着させ、確立させると同時に、労働問題をどのようにして考えていくか。
したがって、本件官有地編入については、明文をもって入り会い権消滅を証する資料はなくかえって逆に、明治四十四年県有地移管に際しては、帝室林野管理局は県に対して、従前の入り会いに関する権義関係は引き渡し当時の現況により継承さるべきことを申し入れ、県もこれを確認して受け入れたのでありますから、官有地になり、さらに県有地になったという所有名義の変更によって直ちに入り会い権は消滅していないと考えなければなりません
これはどこのものかといったらば帝室林野局とか山林局の林でございました。ところが今日は、私いま山へ登ります。去年も槍へ行っております。秩父にも行っております。ひどいな、皆伐してこんなところまで切ってというと、これはたいがい林野庁の国有林でございます。すなわち林野行政というものが森林伐採のみを、独立採算制の観点もあると思いまするが、そういう問題を強くやっております。
昔、御用林といっておったころは帝室林野局がそれをやっていたものです。戦後、林野庁になってから国有林と名前が変わったわけです。
そうして山で昔何か短剣みたいなものつっておった帝室林野局の考え方で、そしていなかのおっちゃんは山の木を切りに来いというと、はいなんていつでも来るような感覚で、そしていま処遇をしている。こういう実態で林野庁が将来も続けていくならば、最も近い将来において労働力の確保できなくなるであろう。そして民間に移してみたところが、日本の山は守ることができなくなるであろう。私らはそう思っておるのです。
それからもう一つは昔の帝室林野局というのですか、何かゴボウ剣を下げておったときの思想がまだ流れていて前時代的な経営をしておるのが林野庁。この二つというのはどうも日本の政府のやっている仕事の大きなガンじゃないか、私はそう思っているのです。
明治四十四年に県有地に編入いたしますが、その際、県は、帝室林野管理局の、入り会い地上の権利関係は引き渡し当時の現況により継承せらるべきことという、そういう要求に対しまして、異議なしと回答しているわけであります。
昔、御料林というと帝室林野局がこれをちゃんと管理しておった、戦後国有林と名前が変わり、林野庁が管理しておる、これには管理か行き届いたものであり、われわれ平民は一切手を触れることができない、こう思っておった。