2003-05-08 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第4号
制定者たちは当然このことに気がついておりまして、伊藤博文と井上毅の合作によります明治二十二年の「憲法義解」、「大日本帝国憲法義解」ではこういうふうに説明しています。第四条の前半の「統治権ヲ総攬」するというのは主権の体であって、後半の「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」というのは主権の用だと。体だけあって用がなければ専制になってしまう。用だけあって体がなければこれは散漫になる。
制定者たちは当然このことに気がついておりまして、伊藤博文と井上毅の合作によります明治二十二年の「憲法義解」、「大日本帝国憲法義解」ではこういうふうに説明しています。第四条の前半の「統治権ヲ総攬」するというのは主権の体であって、後半の「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」というのは主権の用だと。体だけあって用がなければ専制になってしまう。用だけあって体がなければこれは散漫になる。
論証はできないんですけれども、伊藤博文の「大日本帝国憲法義解」とほとんど同じ解釈は枢密院の審議で井上毅がしゃべっているんです。枢密院に出された原案と解釈は、井上毅の手でできている。それで、微妙に違うんです。だから、正式に明治憲法の公的解釈を出すときになって、若干伊藤が手直しをした。大もとは井上毅だと。
今、岩波文庫にもなっていますが、これを見ると、その中身は、「大日本帝国憲法義解」というのと並んで、「皇室典範義解」という二つの内容から成っているんですね。二部構成になっている。そして、つくった人は、憲法は国政をコントロールする、皇室典範は皇室のことを扱う根本法だと。
伊藤博文公の帝国憲法義解には「豫算ハ會計ノ初トシ決算ハ會計ノ終トス議會ノ會計ヲ監督スルニ其ノ方法二ツアリ即チ一ハ期前ノ監督ニシテ二ハ期後ノ監督トス」云々とあって、予算と決算は、期前と期後の違いこそあれ、国家の会計を監督する二大支柱であることは、明治憲法においても明らかなところであります。
伊藤博文公の帝国憲法義解には、「豫算ハ會計ノ初トシ決算ハ會計ノ終トス議會ノ會計ヲ監督スルニ其ノ方法二ツアリ即チ一ハ期前ノ監督ニシテ二ハ期後ノ監督トス」云々とあって、予算と決算は、期前と期後の違いこそあれ、国家の会計を監督する二大支柱であることは、明治憲法においても明らかなところであります。
伊藤博文公の帝国憲法義解には、予算は会計の初めとし、決算は会計の終わりとす。議会の会計を監督するに、その方法二つあり。すなわち、一は期前の監督にして、二は期後の監督とす云云とあって、予算と決算は、期前と期後の違いこそあれ、国家の会計を監督する二大支柱であることは、明治憲法においても明らかなところであります。
やはり明治憲法の伊藤博文の帝国憲法義解というものを何回か繰り返して読んでみているわけですが、そういう点からいくと、ここには「会計検査院ノ行政上ノ検査ハ議会ノ立法上ノ検査ノ為ニ準備ノ地ヲ為ス者ナリ故ニ議会ハ検査院ノ報告ト倶ニ政府ノ決算書ヲ受ケテ其ノ正当ナルヲ承諾シ之ヲ決定スヘシ」、こういうふうになっておるので、そうなってくると、審議決定しなければならぬとするならば、単なる報告ではないはずだ。