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9件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1983-11-24 第100回国会 参議院 文教委員会 第2号

ちょっと歴史を申し上げますと、日本学術会議の前身でございます学術研究会議というのが帝国学士院の下にあった時代がございますのですが、そのときに研究連絡委員会というものに相当するものでございまして、それがいわば遺産として日本学術会議の中に伝えられただけであって、日本学術会議法律面には研究連絡委員会という言葉が出てまいりません。

伏見康治

1967-07-12 第55回国会 衆議院 文教委員会科学技術振興対策特別委員会連合審査会 第1号

業務をいたしておるのでございまして、今後学術会議からそういったような業務について勧告がありますれば、受け入れられるだけの体制はとっておらなければならないというのが大体この法律のきめ方でございまして、私どもが無制限にこの業務を増していくというようなことは考えておりませんし、実際申しますと、学術会議は、これは私が申し上げるまでもなく御存じだと思いますが、学術体制を終戦後つくりましたときに、その当時の帝国学士院

剱木亨弘

1965-10-26 第50回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

この病院ができました披露式のときに、時の癌研究会の会頭でありました長与又郎先生が、このガンの研究と患者の対策がいかに大切であるかということを説明をいたしましたのでありますが、そのあとで三井報公会から百万円に相当するラジウムの寄付がございまして、世界で第三位のラジウム保有量を持っておるのでありますが、これはその披露式にまいりました日本帝国学士院院長櫻井錠二博士が三井報公会に働きかけたという結果であると

黒川利雄

1956-03-06 第24回国会 参議院 文教委員会 第7号

また長い歴史をもっておる帝国学士院以来の日本学士院がございました。また財団法人でありまする学術振興会という団体がございました。これらをどうあんばいし、どう位置づけるかということで非常に慎重審議いたしましたが、中心的な考えといたしまして、日本学術会議という選挙によりまする会議を置いて政府に対する諮問建議中心機関とされたわけであります。

稲田清助

1950-04-25 第7回国会 衆議院 文部委員会 第21号

本請願の要旨は、故高田竹山は、本名忠周号竹山文久元年東京牛込に生れ、説文学の著述により、大正八年帝国学士院賞を受け、著書十余種がある、書家單山の弟子で、明治十八年内閣印刷局に入り、紙幣公債等の書写を担当し、現通用の十円、百円紙幣文字竹山の書である、書道では楷、行、草に至る十体文字をよくし、中国朝野に有名であり、画道においても文人画としてすぐれている、ついては竹山の書画のうち四点を国宝に指定

松本七郎

1949-11-30 第6回国会 衆議院 考査特別委員会 第10号

鍛冶委員長 ここに昭和十五年の帝国学士院授賞審査要旨というものをもらつて来たのですけれども、この五ページから八ページにわたりまして、湯川秀樹君の新粒子の存在に対する予言、こういうものに対する授賞審査要旨、こうなつておりますが、これは今おつしやいました、この恩賜賞授興に対する授賞審査要旨なのでありましようか、御承知でございますか。

鍛冶良作

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