1999-03-30 第145回国会 参議院 文教・科学委員会 第5号
時の各界の勢いは相当なものでございまして、会長に総理大臣が御就任になり、理事長には当時の帝国学士院院長が御就任になるなど、科学界挙げての財団法人でございました。その当時は、実は天皇陛下の御下賜金なども元にしながら研究助成を行っていたのでございます。
時の各界の勢いは相当なものでございまして、会長に総理大臣が御就任になり、理事長には当時の帝国学士院院長が御就任になるなど、科学界挙げての財団法人でございました。その当時は、実は天皇陛下の御下賜金なども元にしながら研究助成を行っていたのでございます。
ちょっと歴史を申し上げますと、日本学術会議の前身でございます学術研究会議というのが帝国学士院の下にあった時代がございますのですが、そのときに研究連絡委員会というものに相当するものでございまして、それがいわば遺産として日本学術会議の中に伝えられただけであって、日本学術会議の法律面には研究連絡委員会という言葉が出てまいりません。
○政府委員(安嶋彌君) 最初に日本学士院でございますが、明治十二年に東京学士院として創設されまして、同三十九年に帝国学士院と改称されました。
業務をいたしておるのでございまして、今後学術会議からそういったような業務について勧告がありますれば、受け入れられるだけの体制はとっておらなければならないというのが大体この法律のきめ方でございまして、私どもが無制限にこの業務を増していくというようなことは考えておりませんし、実際申しますと、学術会議は、これは私が申し上げるまでもなく御存じだと思いますが、学術新体制を終戦後つくりましたときに、その当時の帝国学士院
その当時に、帝国学士院、それから学術研究会議及び財団法人の日本学術振興会、これらのものをあわせ論議するため、御承知のように学術体制刷新委員会というのができまして、この学術新体制の問題が論議されました。
この病院ができました披露式のときに、時の癌研究会の会頭でありました長与又郎先生が、このガンの研究と患者の対策がいかに大切であるかということを説明をいたしましたのでありますが、そのあとで三井報公会から百万円に相当するラジウムの寄付がございまして、世界で第三位のラジウム保有量を持っておるのでありますが、これはその披露式にまいりました日本帝国学士院の院長の櫻井錠二博士が三井報公会に働きかけたという結果であると
また長い歴史をもっておる帝国学士院以来の日本学士院がございました。また財団法人でありまする学術振興会という団体がございました。これらをどうあんばいし、どう位置づけるかということで非常に慎重審議いたしましたが、中心的な考えといたしまして、日本学術会議という選挙によりまする会議を置いて政府に対する諮問建議の中心機関とされたわけであります。
本請願の要旨は、故高田竹山は、本名忠周、号竹山、文久元年東京牛込に生れ、説文学の著述により、大正八年帝国学士院賞を受け、著書十余種がある、書家單山の弟子で、明治十八年内閣印刷局に入り、紙幣、公債等の書写を担当し、現通用の十円、百円紙幣の文字は竹山の書である、書道では楷、行、草に至る十体文字をよくし、中国朝野に有名であり、画道においても文人画としてすぐれている、ついては竹山の書画のうち四点を国宝に指定
○鍛冶委員長 ここに昭和十五年の帝国学士院の授賞審査要旨というものをもらつて来たのですけれども、この五ページから八ページにわたりまして、湯川秀樹君の新粒子の存在に対する予言、こういうものに対する授賞審査要旨、こうなつておりますが、これは今おつしやいました、この恩賜賞授興に対する授賞審査要旨なのでありましようか、御承知でございますか。
○仁科参考人 恩賜賞は、今日の日本学士院、元の帝国学士院の授賞でありまして、帝国学士院には恩賜賞、学士院賞、その他の賞があります。それで恩賜賞が一番上のものというように考えられます。それから文化勲章は国家の勲章で、文化の発達に卓越した功労のあつた人に與えられます。