1958-04-24 第28回国会 衆議院 本会議 第35号
(拍手) 明治の初め東京帝国大学文科大学の教授たりしイギリス人チェンバレン氏は、本居宣長の古事記を翻訳し、その序文の中に、紀元節が二月十一日と決定した事情について述べているのであります。
(拍手) 明治の初め東京帝国大学文科大学の教授たりしイギリス人チェンバレン氏は、本居宣長の古事記を翻訳し、その序文の中に、紀元節が二月十一日と決定した事情について述べているのであります。
明治の初め、東京帝国大学文科大学の教授をしておりましたイギリス人チェンバレンは、本居宣長の古事記の翻訳を当時しておりますが、その翻訳の序文の中に、二月十一日が決定された事情を書いております。それは、すなわち、明治五年から逆算いたしまして、神武時代は二千五百何十年というふうに決定したこと、しかもそれは多くの皇室中心の歴史学者すら全部反対したにもかかわらず、明治政府がそれを強行したのであります。
又團君は、東京帝国大学文科大学哲学科において美術史を専攻の後、同大学文科大学副手を嘱託されましたが、やがて東京帝国大学講師、同大学助教授として、美術史学講座を約十年間担当し、昭和八年七月退官して後は、国際文化振興会常務理事、帝室博物館顧問に就任、更に昭和二十一年五月より約一年間、貴族院議員に在職し、続いて参議院議員に当選しておりますが、現に日本美術協会副会長、ブリジストン美術館運営委員長等の職にあるものであつて
次に、矢代君は、大正四年帝国大学文科大学を卒業し、東京美術学校、第一高等学校、東京高等師範学校等に教鞭をとり、又大正十年より同十四年に亘り、イギリス、フランス、ドイツ、イタリー、アメリカ合衆国に在留して、西洋美術史を研究し、昭和二年帝国美術院附属美術研究所設立に従事し、同研究所主任を経て、昭和十一年所長になり、十七年官を辞し、後に欧米各国博物館の調査に従い、現に国立博物館評議員の職にある者であります