1975-07-02 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第29号
ところがむしろ、各宗派の専門布教師ですか、あるいは坊さんの管長とかという人たちは、これはとんでもないことだと言って猛烈な反対をされる。今度は、それの一つの反射作用でしょうか、ある仏教の信徒は、そんなことを本山が言うならわれわれは信徒をやめるぞという動きさえ実は経験いたしました。
ところがむしろ、各宗派の専門布教師ですか、あるいは坊さんの管長とかという人たちは、これはとんでもないことだと言って猛烈な反対をされる。今度は、それの一つの反射作用でしょうか、ある仏教の信徒は、そんなことを本山が言うならわれわれは信徒をやめるぞという動きさえ実は経験いたしました。
○政府委員(大澤一郎君) 刑務所あるいは少年院等の矯正施設におきます宗教教誨に従事していただきます教誨師——布教師とわれわれ呼んでおるわけでありますが、これは施設の長が選ぶわけでございます。
天理教の場合を申し上げますと、天理教では、布教師が、肺病になった人をつかまえて、あなたは心がすなおでないから、はいと返事をしないから肺病になっている。返事をしないからへんとう腺炎になったというようなことを言います。私も直接聞いているから、これは確かです。しかし、幹部の人にそういうことを言えば、そんなことを言うはずはない。これははっきりそう言っている。
そこにあなたがまだ布教師として足りないところがありますよということを申し上げたのです。私は、精神生活にあなた方が入っている以上、精神的にもっと考えていただきたい。あまりに物に片寄り過ぎている。形に片寄り過ぎている。ここに立正交成会の非難された原因がある。惜しいことじゃないか。せっかく三十何万という有力な信者を持ちながら、しかもその中には、私の調べたのでは非常に感激している。
その教化面では、実践の上において、無料で布教師を派遣いたしまして、各寺院の方面には、それぞれ集会をいたしまして仏教の話をいたし、また子供には、仏燈等をもちまして、われわれの生活の面におきまする幻教的精神の必要性を説くとともに、そういう会合に人員を派遣いたしておつたような次第でございます。
実は布教師を依頼いたしまして、無料で各地へ先ほど申しました通りに布教に歩かせておりますことなども、全部仏教保全経済会の費用でやつております。けれども、何分にも坊主のことですから、そうりつぱな宿にとまるわけではなし、寺へとめてもらつて、そうして次から次へと、一月とか半月の日程をつくりまして、随所々々に布教に歩いておる。
ただ宗教などになりますと、仏教というものはそれほど外国に対して強い影響力を持つていない、キリスト教というものは非常に持つているというような点もこれはありますけれども、併し一方アメリカにおいては日本人なり、或いは日本系の二世その他も随分おりまして、これに対しては仏教の布教師等も随分行つております。いろいろな点から言いまして、これは制限をしなくても差支えないものであろうというのが我々の考えであります。
併し我々仏教徒の方面におきましては、各収容所に布教師を派遣いたしまして、常に絶望的な人生観を持つておる人たちに対しまして、あらん限りの慰問を宗教の面からやつて行つておることは、御当局も御承知の通りだろうと思いまするが、その点についても厚生省としてどういう工合に、将来精神面の取扱いをして行かれようとしておられますか、その予算或いは具体的な案に対しましてお伺いを申上げたいと思うのであります。
○政府委員(平田敬一郎君) この点は法文を作ります際にもいろいろ検討いたしたのでございますが、やはり経済の再建ということと文化の振興でございますか、この二点を実は考えたのでございまして、学校の先生とか宗教の布教師、そういう者は、そういう意味合いにおきましてやはり同じ待遇を與えたほうがいいだろう、こういう意味でここに書いてありますように、これはキリスト教だけには限りません。
○平田政府委員 日本の復興のために一番、急務としますところは、やはり経済の復興だと考えるのでございますが、文化水準を高めるということもやはり必要なことでありまして、そのためには外国の学校の先生あるいは布教師等も入つて来て、仕事ができるようなふうにしておかなければならない。
それからまた布教師、大学專門学校教授——布教師という意味でもキリスト教の宣教師、牧師、いろいろありますが、最も短期な教育を受けた天理教の布教師、こういう者は六箇月くらいの教育で布教師になる。そういう者が布教師としてアメリカに渡航した場合においては、アメリカの在日本のアメリカ領事館がなかなか査証を與えない場合がある。
この請願者の履歴を述べますれば、今次事変勃発とともに日蓮宗布教師として中華民國に渡り、漢口に身延山別院武漢寺を建て、難民を救済し教化保護事業を起し、中國僧侶と連絡しつつその事業の拡大強化をはかりつつありましたが、終戰後最後に引揚げた者であります。 以上請願の趣旨を申し上げました。