2019-11-14 第200回国会 参議院 経済産業委員会 第2号
地元の商店街のある布団屋の御主人は、心配していたとおりだと、どうにかしてやというぐらい売上げが落ち込んでいるんですね、十月。引上げ当月ですから、駆け込み需要の反動だろうとよく言われるんですけれども、経営者の皆さんがおっしゃるには、実感として、前回五%から八%に上がったときと比べて駆け込み需要もなかった、駆け込み需要もないほど市場は疲れているというようなことをおっしゃいます。
地元の商店街のある布団屋の御主人は、心配していたとおりだと、どうにかしてやというぐらい売上げが落ち込んでいるんですね、十月。引上げ当月ですから、駆け込み需要の反動だろうとよく言われるんですけれども、経営者の皆さんがおっしゃるには、実感として、前回五%から八%に上がったときと比べて駆け込み需要もなかった、駆け込み需要もないほど市場は疲れているというようなことをおっしゃいます。
例えば、私の地元のある布団屋さんと、この間話したら、大西さん、うちの店に来て商品を確認してそれをネットで買う人がいる、そういうことをおっしゃっていました。
私はかつてスキー選手だったのですが、思い起こせば子供のころに熱心に指導していただいたのは、地元群馬、草津温泉の電器店の御主人だったり、お布団屋さんの方であったり、酒屋さんの若だんな、焼き鳥屋さんの御主人、そういった、皆さんいわゆる小規模企業の方々ばかりでした。しかし、今は廃業してしまった、あるいは商売が立ち行かなくなってしまっているとも伺っております。
それから、布団屋さんが、一日八時間、一日の三分の一は寝るということの中で過ごすわけですね。これは非常に、衣食住と同等な重要な価値がある、大切なことなんだ、おろそかにできません、こう言いますね。 そうすると、皆さん、食育が終わったら、衣育とか住育とか寝育とやるんですか。その点について御答弁ください。
一階の布団屋はつぶれ、二階のマッサージ屋は夜逃げし、四階、五階もみんな倒産という中で、辛うじて自分の事務所が維持できたというのが奇跡に近いなと思っているぐらい厳しい経済状況でございました。
私の家業は布団屋でありますので、東北地方に大量にそういうものを出す場合には、当時私もアルバイトを、高校生ですが、おやじの会社でしましたけれども、鉄道運送が非常に盛んだったわけですね。それが一時いろいろなことで自動車に負けてしまった、こういうことでありますが、京都議定書の問題等でモーダルシフトということで、またその機能が大いに期待できる、こういうことだろうと思うわけであります。
ただ、税務の取り扱い上、一般的に言って、私も選挙区で、行商というか外商の布団屋さんなんかいると、家屋兼店舗になっていたりすると、では家屋と店舗は何割と何割とか、あるいは使っている車だって、自家用が何割、減価償却できるのは何割というふうに、税務署からちゃんと言われるわけですね。
それを、どこかで、福祉計画何とか研究会とかというところに官僚が集まって、業者も集まって、到底政治家の我々でもわからないようなことを、布団屋さんとかあるいは議員の秘書の人が何でも知り尽くして、そうしてそういう施設ができるたびに先取り、先取り、先取りをして、しかもそれが自由に参入されないような、そういう枠をはめてやっているということ、決してこれはいいことじゃないでしょうというふうに私は思っております。
あなたのお友達ですよ、布団屋さんですよ。(橋本内閣総理大臣「私よく知らぬ人ですよ」と呼ぶ)お父さんの子供です。その人がまたこういうものをつくって、そうしてシルバーマークがあれば、国が三分の一、県が三分の一、市町村が三分の一の補助金をもらって、そうして厚生省の幹部が、こういうシルバーマークを持っておるところから頼みなさい、こう言って行政指導をしている。
○西川委員 ここで今急に変なことを思い出したのですけれども、私の家の商売は布団屋なのですよ。寝具会社なのです。それで、いろいろな建設会社の現場に布団を買ってもらった時期があって、私が学生のころ、おやじが、おまえも苦労しなきゃいかぬからと言って、現場で働けと言われて布団を運んでいったことがあるのです、横浜の先の文化住宅の建て売り住宅の現場に。