2014-10-17 第187回国会 衆議院 地方創生に関する特別委員会 第4号
後ほど御議論が出るんでしょうが、委員が市長在任中に、農の未来は都市にありということを唱えられて、私も随分といろいろなことを啓発されたのですが、都市が、農村といいますか地方といいますか、それの支えによって成り立っているということを都市の方々が御存じない。
後ほど御議論が出るんでしょうが、委員が市長在任中に、農の未来は都市にありということを唱えられて、私も随分といろいろなことを啓発されたのですが、都市が、農村といいますか地方といいますか、それの支えによって成り立っているということを都市の方々が御存じない。
これも私の経験ですが、市長在任中、日照りが続きまして、川の水が激減いたしまして、節水を余儀なくされた。まず市から、水道水を節減します、子供たちの小学校のプールの水も断水ということまでやったり、工業用水だとかいろいろなところの節水をやっていく。ところが、農業用水だけは、取水権といいますか、水利権が優先的に認められまして、これが大変矛盾を感じたことがあるんです。
私が市長在任中のときに、いろいろ国と約束もして交渉もして、アセスに入ること自体は認めますということで、環境調査に入ることは認めたんです。つまり、それは裏返しをすれば、アセスさえクリアすればいいですよというところまで譲歩したんですよ。ところが、その後、横浜市域側に追加建設を一方的にしようとしたので、結局、反対に翻ってしまったんです。 つまり、ボタンのかけ違いがあるんですね。
これは、市長在任中には言えなかったんです。退任する日に初めて明らかにさせていただいたんですけれども、これは、平成十年の十二月に私が就任したんですけれども、ちょうどそのおよそ一年後だったんですが、平成十一年の十一月、当時の在日米海軍のワイス司令官が逗子の市長室に来て、図面も見せて、逗子市域側に千五百戸建ててほしいという話だったんです。
これも、私も逗子市長在任中のときから、財務省の理財局に、何とかこの旧軍港市転換法を適用して、返還がされた場合は逗子市に無償に近い形で提供してもらいたいということを重ねてお願いさせていただきました。当時の理財局の方は、それは難しいのだと。議員立法で法律自体にこの四市に加えて逗子市という文言を盛り込むか、あるいは解釈でということでお願いしたんですけれども、難しいと言っておりました。
現に、私が藤沢の市長在任中の最後の、二、三年前までの間でありますが、数年間には、再々にわたって県市町村課より、地方単独事業が少ないからこの分の公共投資を増加するように執拗に指導された経験を持っているわけであります。 こういうことにかんがみまして、第一に、大蔵省からの強要があったのではないかと思いますけれども、どういう経過が、その点を明らかにしてほしい。
もちろん新聞報道でございますから、根拠のある部分と根拠のない部分の数字だと思いますが、横浜市のケースは、条例化されている部分で非常に事務的に計算をしますと、十五年間の市長在任中、条例部分だけで受け取れる退職金というのは一体幾らになるのでございましょう。
ただし今度都城市だけ去年私が市長在任中に委員を三十名にまでしましたけれども、しかし三十名にしますと農地部会制度と農政部会制度と、部会制度を設置して運営しなければならない。委員会運営というものは本会議をもってやらなければならないということで、これはなかなか厄介なんです。
私の経験によればということを私が申し上げましたが、私が市長在任当時にこういう事例がありました。築堤をじゃかごで一応処置してあったものを、本堤を築くときに川の中へ本堤を築くというように私が河川局に交渉をいたしました。そのときに河川局は金をかけて本堤をここへ築けば当然旧地主に返還をする土地がここに出てくる。
とりわけ、中村君の市長在任中の業績として特筆すべきものに、学校給食の全面実施があります。当時、八戸市においては、都市部の給食はすでに実施されていたのでありますが、中村君は、あらゆる困難を克服し、新たに大規模な給食センターを設置して、これを山間部等の僻地の小中学校にまで及ぼし、市内の全学童が漏れなく給食を受けられるよう措置されたのであります。
私は市長在任中のことから考えて、理事者の不正事件には身をつまされる。私刑務所にも入りませんので、ここにおります市長出身の相当数の委員とともに、汚職の経験がない。