2006-04-05 第164回国会 参議院 決算委員会 第5号
名護市で初めて市民葬が行われたわけでありますけれども、改めて、西銘先生と共通の思いで、御苦労さまでしたと心から御冥福をお祈りしたいというふうに思うし、また御功績をたたえたいというふうに思っております。
名護市で初めて市民葬が行われたわけでありますけれども、改めて、西銘先生と共通の思いで、御苦労さまでしたと心から御冥福をお祈りしたいというふうに思うし、また御功績をたたえたいというふうに思っております。
額賀長官、それから麻生大臣も後ほどお見えになるようでございまして、まず、岸本前名護市長の市民葬に両大臣御出席をいただきまして、本当に心から御礼を申し上げたいというふうに思います。約四千人の方々が御参列をいただいたようでございまして、大変厳粛なうちにも厳かに終了させていただいたというふうに思っております。
そのうち最初に戦死をしたおじは、日支事変の私の鹿屋の市では第一号の戦死者で、市民葬第一号になっている。私の家内の兄はレイテで空中戦で体当たり散華をした陸軍の操縦将校でありましたが、身近にそうした者を持っている。そうすると公務扶助料が出ますね。
(拍手) 仮谷さんが亡くなられた翌々十七日の芝増上寺における告別式、続いて十八日の高知市、さらに翌十九日の故郷土佐清水市における市民葬がいともしめやかに行われましたが、この仮谷さんを追慕し、仮谷さんの功績をたたえるために集まられた各界各層の参列者は、延べ実に万余を数えました。
今回の御逝去にあたり、郷党ひとしくこれを悲しみ、来たる十一日に岩沼市の市民葬をもってその礼を尽くされるのも、またむべなるかなというべきであります。(拍手) 君は、高等学校、大学時代を通じて陸上競技の選手として活躍をされ、また、乗馬を楽しみ、音楽に親しむという趣味の豊かな方でありました。