2015-03-09 第189回国会 衆議院 総務委員会 第4号
丹波市の市島支所には、その後、復興推進本部が置かれて、これまでの十人の支所員に八名が加わって、被災した住民への対応も厚くなったというふうに伺っています。災害現場における判断それから行動がいかに重要であるかを物語っています。 災害時における支所の果たす役割というのは災害対策上極めて重要であることが答弁からもわかりました。総務省からも確認できました。
丹波市の市島支所には、その後、復興推進本部が置かれて、これまでの十人の支所員に八名が加わって、被災した住民への対応も厚くなったというふうに伺っています。災害現場における判断それから行動がいかに重要であるかを物語っています。 災害時における支所の果たす役割というのは災害対策上極めて重要であることが答弁からもわかりました。総務省からも確認できました。
そうする中で、必要な対応をさまざま検討してきたわけでございますけれども、一番被害が大きかった地域、市島町というところがございます。この市島町におきまして、八十を超えているであろうお父さんがいらっしゃいまして、お一人で住まわれていらっしゃる、耳も遠い、そんな中で、なかなかどうすればよいかわからなかったというようなお声も伺いました。
また、断水が続いている地域もございますし、今でも大雨洪水警報が発動されますと避難勧告が出されまして、市島地区の皆様方はライフピアに避難をされているというような状況、緊迫した状況が続いているのが現状でございます。
御指摘の県指定文化財の市島家住宅の災害復旧についてでございますが、私どもといたしましては、今後、所有者あるいは地元県において再建の必要性等も含めて検討するというふうに県から伺っておるところでございまして、そうした地元地方公共団体の動向等を見守って適切に対処してまいりたいというふうに考えておるところでございます。
それから、これまた要望が出ているのですが、県の文化財として市島邸というものがあります。これは建造して百年を経過したものでありますが、この復興につきまして、当初は所有者の意思が明確になっておらなかったものですから、町あるいは県としましても対応に苦慮していたわけであります。しかし今、所有者が、再興、再建の意思を明確に表示しております。
また、豪農のやかたと言われております市島邸、これは東京高検検事長をなさった市島さんの実家だろうと思いますが、これが倒壊をいたしておるわけであります。
そのうち、特に平成六年度では、市島町の地先で河積を、水の流れを悪くしております堰、固定堰がございますので、これを取り払って水の流れをよくして、堤防からの溢水を防ぐようにしたいということ。
これはもう大臣も聞いておられると思いますけれども、新潟県の福島潟という潟は、新潟県で有数な大地主市島さんの所有地になっておったわけなんであります。その総面積四百三十四町歩、そして十三本の川がその潟に入っておったわけであります。そして新潟県の越後平野の最も低いところの場所にございまして、海抜マイナス六十センチ、こういう状態であったわけなんであります。
私はもう一遍さっきの市島の四町二反歩のことを聞きますけれども、じゃあこれはどういう性格で渡したんです。四町二反というこの広大な土地をこの人にだけやったんです。その理由はどうなんです。
○岡安説明員 市島農場に対します配分についてお答えいたしますが、これは先生御承知と思いますけれども、昭和四十七年に土地改良法が改正をされまして、その結果、農業生産法人に対しましても干拓地の配分をすることは可能というふうになったことから、この有限会社市島農場が農業法人として適格性があるというような判断のもとに配分をされたというふうに聞いております。
ここは言うまでもなく三十一年に国が市島という大地主から土地を買収する過程で、従来そのところで漁業権を持ち、入会権を持ち、そこで耕作をしていた農民があります。そしてその市島は国の買収価格に対して訴訟した。
そのため、浜坂、八鹿、日高、養父、豊岡、城崎、香住、出石、和田山、市島、篠山等、同地方の市町村はいずれも甚大なる被害をこうむつたのでありまして、本県下における建設省関係公共事業の被害は、河川、砂防関係四千百四十カ所、二十七億円余、道路、橋梁関係二千百七カ所、十億円余、その他を合せ、合計四十億円余に達しているのであります。
なぜそういうことを申しますかというと、この兵庫県下の調査の中でも、生活状態というものは非常に苦しいわけでして、たとえば、勤続年数が十年で、しかも四十から四十五なんというと、これは、子供は小学校から中学に行って、高等学校にも行こうという人たちで、相当な金のかかる人ですけれども、ここで最高の生野町というところで、これは平均給与ですが、二万二千六百円を出しておるのが最高なんですけれども、最低の市島町とか浜城町
ところが何か、聞きますと、まだ福島潟の地積の買収において、例の天王の市島との間に価格折衝ができないで、工事が進められない、こういう話を聞いているのですが、そういう関係上や、また当初の設計が中途において変ったこと等のために、現に安野川のごときは、初め水原町の構内を通して阿賀野川へ排水する、こういう設計であったのです。
私はその話を広島に赴任する途中に聞きまして、それから後に岡山の次席になりました今福岡の検事長をしております市島誠一検事に非常にこれは貴重な材料だ。直ちにこれをあとから調べてそして書類にせいというので、こしらえ上げてあの司法資料の中におさめております。
従軍記者の次の講演者は足の悪い大隈侯ですが、市島大学理事の肩にすがって大隈邸から出てこられるので、その十分間ほどの時間に、私は、同志の勧めるまま、その壇上に上り、今聞いたばかりの演説を反駁いたしました。私の論旨は包囲されて最後に領事館の館内に残った人間は父と子のたった二人きりで、しかも、一時に死んでいるというのに、その現状の詳細があのように具体的に伝えられるということはあり得ないではないか。
当時政府側としては大橋法務総裁、草鹿刑政長官、吉河特審局長、文部省側は天野文部大臣並びに稲田大学学術局長、参考人として服部京大学長、潮田慶応大学学長、市島検事正、永田京都市警本部長、田代京大補導部長、落合奈良女子大学長、青木京大同学会委員長、田中警視総監、及川東京新聞論説委員、かような関係の諸君のほかに京都大学同学会中央委員長青木宏君というのが学生代表として出席しております。
ただ、私個人として承りたいのは、二十八年の二月十八日に正式会議をした、しかもそれは法務省の刑事局長室において平田国税庁長官、銀行局、前の刑事局長、それに津田さん、長戸さん、民事局から吉田参事官が出ておられる、最高検の市島検事、熊澤検事、高検から司波、地検から関係検事が出ておる、こういうようなぐあいの会議がありますので、おそらくこれは大蔵省から最後の意見をまとめる会議であつたと思いますので、この会議録
それからそのあと最高検の市島さんですか、刑事部長が神戸に参りまして、もう逮捕状が用意されておるのだ、いよいよ逮捕状が出されるのだ、こういうことが新聞に談話として載つておる。その言葉を裏書するがごとく、二日たちますと、播磨造船その他御承知のような大捜査検挙が行われた。こうした行動があつたかないかは別といたしましてこれは事実と符合している。私は言わぬことを新聞は書きやせぬと思う。その通りに行われた。
○田嶋委員 私の言つておるのは、市島さんは言つていないということが事実としてあるわけでしよう、報告が来ているでしよう。言つていないことを新聞が書いたという事実もここにある。事実のあることです。播磨造船の捜査検挙が行われる事前に発表された、この場合のことを聞いておるわけです。
ちようどいい機会でありますので、実はこの前田嶋さんから御要望がございまして、市島部長検事及び大阪検事長が新聞に談話を発表したではないか、調べよということでございましたので、私の力で調査いたしました結果を簡単に御報告いたしたいと思います。 これはごく要約して申し上げますと、市島刑事長は、――直接私が事情を聞いたのでありますが、新聞記事に記載されたような談話を発表したことはない。
それから最高検からは熊沢検事、市島検事、それから高検からは司波検事、地検からも関係の検事がこの会合に出ております。この会議で、先ほど来申し上げました、また三月四日に大蔵委員会で私が御説明申し上げましたような文書の草案を検討いたしたのであります。そこで若干の字句の点については修正が残されて、その点はさらに同日の午後の担当官の会議、つまり課長以下の会議に持ち越しました。
それで、先ほど御証言いただきましたこの日時、あるいは、法務省に残つておるかもしれませんが、最高検の市島検事あるいはそこらの人が会議されたというような記録はもちろん法務省にあると思います。こういうような意味で、ひとつどうか、先ほど証言された以外に、参考になる記録の写しがあるならば、委員長から提出を求めていただきたい。
それから市島刑事部長が大阪へ出張してたいへん重大な発言をしております。これにぜひ真実をお確かめ願いたい。私質問いたします。そのときの材料としてぜひお取調べ願つておきたいと思うのです。