1947-08-02 第1回国会 衆議院 財政及び金融委員会 第8号
近く外國貿易が再開されるということになりますと、今までの日本の國内だけで生存しておつた、こういつた基礎がすべて變つてくるのでありまして、直接世界的な市場の中にある日本を考えなくてはならぬ。
近く外國貿易が再開されるということになりますと、今までの日本の國内だけで生存しておつた、こういつた基礎がすべて變つてくるのでありまして、直接世界的な市場の中にある日本を考えなくてはならぬ。
昭和九、十、十一年度の魚價を基準としてやるが、九、十の統計がないために十一年度の東京市場における統計を取つて、現在の魚價と比較して見ると、約一、九四倍になつておる、それでその当時の値段を六十五倍すると、現在の價格に一・九四倍したものと大体同じになる。
○政府委員(藤田巖君) これは資料の取り方でいろいろ出ようかと思いますが、昭和十一年の東京の市場での調でありますが、それによりますと、その当時の「いわし」の値段を六十五倍いたしましたものは一六円三十二銭であります。現在の公安價格が二十二円であります。從つて「いわし」については、これはむしろ他の魚に比べて非常に勝り過ぎておるというような現象になつております。
○青山正一君 大體今度の魚價というものは、これは物價廳の一・六倍、これから衆議院の一・九四倍の原案というものは、これは大體昭和九年、十年、十一年、三ケ年を基本として、見たのではなく、ただ單に昭和十一年の一ケ年のみを、それも六大都市の一つである東京魚市場の卸賣相場を參考として、原案を作つたものと解釋されるわけであります。
すなわち昭和九、十、十一の三箇年の平均魚價を基準とする建前でありますが、九、十年は正確なる資料がありませんので、十一年の東京市中央市場年報による正確なる統計に基き、入荷數量二千三百九十二萬四千三百三十八貫、金額二千二百六十六萬四千圓により、平均價格一貫九十四錢七厘を見出し、これに六十五倍を乘じ、一貫目六十一圓五十六錢という平均價格となるのでありまするが、しかしこの數字は漁業資材を公定價格にて購入し、
御承知の通り、この私的独占禁止及び公正取引の確保に関する件というこの九十二議会を通つた法律案は、我が國においては全然初めてのものでありまして、そうして我が國のように、國土は狭隘で、経済事情も特殊な経済状態を備えておる所は、アメリカのごとく高度に発達した、或いは市場の廣い、國の廣い、産業の各方面において集中せられたる所とは違いまして、特殊な形態を備えており、特に敗戰後の惨めな今日の有様になつておるのでありまして
從いまして、もしも正規な市場を通じての自由販賣がもたらされましたならば、必ず現在取引されていますところのやみ値段よりはるかに低い値段の取引がなされるということを、私は断言してはばからないものでございます。
しかしながら、統制という声をかけると、せつかく市場にある物資が、ことごとく隠れてしまうのであります。統制という言葉は、物資を隠す号令にしかなつておらないというような結果になつておるのであります。統制が物をつくるのに非常に力があるのなら、私どもは賛成をするのでありますが、この反対であるということになりますれば、統制を撤廃することも必要でないかと信ずるものであります。
第三、自由米切符の價格は、米の市場操作における相場に基き、適宜決定せられたる値段にて消費者に賣り渡されること。第四、米麦は、原則として営團または農業会を通じて消費者に渡る以外は、一切移動を禁止することであります。第五分配、営團または農業会において農家より集積したる現物を、一定の期間毎に中央機関に報告すること。
一面において、たとえて申しまするならば、鮮魚に対してはあるいは油のリンクを、蔬菜に対しましては肥料のリンクをいたしておりまするが、日々市場の状況は鮮魚におきまして、遠海物と近海物の鮮度の差は非常なるものがあるのでございます。画一的公定價格のためには、さきに申しましたごとく、遺憾ながら予想以上の出荷はでき得ない現実にある。
今の闇市場といいますか、できておるなにから見ては非常に低い、産金業者というものは生産が引合わない、幾らやつてもこれでは増産を図るということにいかんと思いますから、金というものはこれで生産が引合うと思召しですか、生産者は……
又公共市場を作りまして、そこで賣買させるということも考えられます。或いは指定の業者をして集荷販賣に当らせる。特定の店舗において販賣に当らせる。或いは生活協同組合を活用いたしまして、これに集荷配給せしめるといつたような種々の方策が考えられるのでありまして、この際直ちに野放図に自由にしてそれでよろしいと私は主張しているのではありません。
きれいに洗浄しまして、そして鹽水のきれいなもので、しかも鹽味をつけてすぐにでも食べられるような製品となつておりますので、優に市場の價値とすればするめ以上の價値のあることがはつきりしておるのであります。でありますけれども、價格が制定をされておらぬので、鮮魚として、すなわち一貫目十五圓として取扱われた。そういうことから約一千萬圓近くのやみか構成されたということになつております。
そこで私はこの線を突破したものに對しては、一つの公共團體の、いわゆる東京都であると都の責任、政府の責任において、これを實際行うものは正しい荷受團體がこれを負うという方法による公設市場を設置し、その線から突破したものはその公設市場に出し、そして鮮度のいいものは高くたつていいじやないか。惡いものは安くたつていいじやないか。そして初めてここに鮮魚としての販賣方法というものを軌道の乗せべきものではないか。
野菜市場はどうであるか。これはやはり同じ農林省の管轄下でありますが、八分の手數料をとつて、經營者、會社がそのうちから五分をとり、二分は荷受口銭として農業會、全農の方へ出しておる。一部は統制費としてとつておるということで、合計八分だそうであります。そうしてそれは消費者の負擔である。ここに伺いたいことは、東京都には戰災者、引揚者が充滿しております。
そしてこれらのうち約三分の一から半分くらいのものを大衆にさばきたいと考えておりますので、かたがた証券処理調整協議会の今後の任務は、非常に重大なことになるのですが、市場の状況であるとか、その他とにらみ合わせまして、計画的に逐次これを処分していくという段取りを、今つけておるところでございます。
第一点は輸出入品價格、殊に輸出品の價格の決定でありますが、それについて國際の市場における價格というものを斟酌して決めるかどうかということでありますが、現在の國営貿易の形式の下では、個々のものにつきまして実は貿易廳の方と、それからGHQとの間で、いろいろな事情を考慮しながらその價格を実は裁定いたしておる情況であります。
特にその輸出品の買上げ價格を決める場合に、当該商品の國際市場における價格、なかんずくそのドル價格を考慮の中に入れておいでになるかどうかということをお伺いしたいのであります。例えば、アメリカ市場において一ドルで販賣できる輸出品ならば、それがどのような種類のものであろうと、或いは百五十円なり或いは二百円なりという同一の價格で政府は買上ぐべきであると思うのであります。
流通過程に闇利潤が市場に存在しておる限り、これは賃金の実質的な確保ということはできないのであります。從つて闇の撲滅ということを我々は繰り返し申し述べておるのであります。(拍手)
それのみならず、二万トンに匹敵するところの蛋白質にあたる鯨肉、並びに鯨油一万数千トン、ヴイタミンA・D約二万四千八百ポンドを、世界の各市場に供給いたしたのであります。そのほかに、なお相当のマーガリンを目下加工中でありまして、まつたく予想外の好成績で終つたのであります。
しかしながら、なおかつこの統制はどうしても苦しいのであるから、二〇ないし三〇%を自由市場にもたらし、人民の管理と公共團体の管理によつて、組織的に大やみ業者の侵入を防がなければならぬ。これを要するに、官僚統制にかえるに、人民統制をもつてすることである。 ここで重要なことは、企業整備についてでありますが、政府は企業整備において、各資本家の黒字経営を主張しておるのである。
食糧窮迫のため、やみ市場の活動となり、また生産者、消費者との間に対立意識の激化を生じ、社会問題として、現にまことに憂うべき事象を呈しつつあるのであります。
日本商品を世界の市場に送ることも、実に不可能であると思うのであります。(「その通り」と呼ぶ者あり) 労務の整理は、これを企業の手から國家の手に移すべきであると思うのであります。労務配置がえとともに、もちろん高度社会保險を実施しなければならない。
最近の社会情勢、すなわち、やみ市場の絶滅とか、街頭飲食店の閉鎖命令などで、これらの潜在もしくは半失業者は、漸次顯在失業者たらんとする傾向があります。これらの失業者に対し、政府は、その生活保障のために何ら見るべき施設を行つてはいないのであります。
どうしてもこれを上げて行かなければ、諸外國の労働生産性に比べて低いだけそれだけ我が國民生活水準が低くならざるを得ないのでありまして、單に國際市場におきまして太刀打ちができないばかりでなく、いつまで経つても文化的な生活水準に達することができないのであります。
どうしてもこれを上げていかなければ、諸外國の労働生産性に比べて低いだけ、それだけわが國民生活水準が低くならざるを得ないのでありまして、單に國際市場におきまして、太刀打ちできないばかりでなく、いつまで経つても文化的な生活水準に達することができないのであります。