2008-04-23 第169回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第6号
アフリカは現在、特にコンゴ盆地は世界の左肺なんですけれども、これは幸い、我々からすれば幸い、現地の人としては不幸にも、経済成長がないために比較的減っていないんですけれども、これから経済成長が起こったときにこれを守ってもらう。それをどうやって、守れば損をするという今はシステムですから、つまり吸収源を減らさないということに関する経済的なインセンティブをどう付けるかというのは非常に大きな問題です。
アフリカは現在、特にコンゴ盆地は世界の左肺なんですけれども、これは幸い、我々からすれば幸い、現地の人としては不幸にも、経済成長がないために比較的減っていないんですけれども、これから経済成長が起こったときにこれを守ってもらう。それをどうやって、守れば損をするという今はシステムですから、つまり吸収源を減らさないということに関する経済的なインセンティブをどう付けるかというのは非常に大きな問題です。
そこで、鎖骨下動脈のところで腕の方へ行く血管を肺の方に直接つなぐブレロック手術を、五歳時に左肺へ、十九歳時に右肺へ行いました。幾分チアノーゼも薄くなり、それなりに体力もつきましたが、決して完全によくなったわけではありません。十九歳の術後、肺高血圧症を伴ってしまいました。その後、肺の側副下血行や末梢血管が悪さをし始め、何度も喀血発作を繰り返してしまいました。
そうしますと、私は大学在学中に結核が再発しまして、右の肺に空洞があり、左肺はほとんど全部やられて、その上に腸結核になって、医者の方は御存じだと思いますが、鶏鳴下痢というのが始まるのですね。朝にもう下痢が始まる。これは明治時代の感覚から言えば末期症状であります。
で、東京地裁の関係は起訴されまして直ちに弁護人、検察官に集まってもらいまして協議をしました上で年内に十五回の期日を指定しまして、さらにその後十四回の期日を予定したわけでございますが、証人尋問に三人ほど済みましたところで林被告の方から肺腫瘍で左肺切除というような病気で入院することになりまして、二月の十六日から公判手続が停止になっております。
起訴状の朗読、罪状認否、検察官の冒頭陳述、証拠申請等の冒頭の手続が終わりまして、第二回公判からは直ちに証人尋問に入ったわけでございますが、十一月十六日の第四回公判期日を前にいたしまして、林被告から病気を理由とする不出頭届というのがありまして、その後三通ほどのそれぞれ医師の診断書が出まして、悪性腫瘍の疑いがあるということで、結局、十二月の九日に癌研究所附属病院に入院いたしました林被告が肺腫瘍のために左肺
ただ、本件の林被告人の場合につきましては、現に悪性肺腫瘍であって、左肺を切除して現に入院中である、癌研究所でございますか、そこに入院している、こういう状態でありますので、裁判所としては直接担当の院長に会ってその状況を聞いて、それで停止決定のこの判断に至ったものでございますから、その措置はきわめて妥当なものであったろうと思います。
地面にたたき落とされた際、胸部を強打して右肺下葉を破裂せしめられ、左肺部上葉に肺挫傷の重傷を負い呼吸困難、意識不明となり、その後奇跡的に生命を取りとめた。この事実は御存じですか。
現実にE6(男)は、地面にたたき落とされた際、胸部を強打して右肺下葉を破裂せしめられ、左肺部上葉に肺挫傷の重傷を負い、呼吸困難、意識不明のまま今日に至り——これはいまは意識は戻りましたけれども、奇跡的に生命を持続させているが、精神障害は残る可能性が強いという、これは成田の担当の医者の診断です。こういう重傷を出して手落ちがなかったとは言えないでしょう。
右の肺の空洞が石灰化してかたまってきまして、左肺の手術ができるようになりました。そこで昨年の七月、一か八かの気持ちで手術を受けました。胸郭成形手術という肋骨を七本切り取る手術でございます。それがどうやら成功したらしく、あきらめていた社会復帰への希望がようやく持てるようになったわけであります。
非常に重度の患者でありまして、なくなったことについて、あとで、受け入れた側の済生会の奈良病院の院長は久米さんという人でありますが、「右肺の機能はまったく失い、左肺にも障害が見られ、ろく膜にも影響が出ている重症だった。そのため心臓に負担がかかりすぎ心臓衰弱が死因となった。しかし直接の原因は、一日にたくさんの家族が面会に来たので興奮したためだと思う。」
第一、白鳥警部暗殺事件の概要を申し上げますと、札幌市中央警察署警備課長、警部白鳥一雄君当年三十七歳は、本年一月二十一日午後七時四十分ごろ、単身私服、自転車で帰宅の途中、札幌市南六條西十七丁目路上で、自転車で追いついた氏名年齢不詳の男に突然背後から、約一メートルぐらいの距離と説明されておりますが、拳銃で狙撃され、左肺上部を貫通して即死しました。
左肺上部を撃たれて即死したのであります。 この事件の発生直前の事情といたしまして、昨年十二月二十七日、自由労働者多数が札幌市市役所に押寄せまして、高田市長に面会を求めて、市長室の前廊下に座り込んで喧騒を極めた。同日午後三時頃、同市長の退去要求に応じなかつたために、うち十名が札幌市警の警察官に検挙された。それで札幌地検の取調べの結果、うち七名が建造物侵入罪によつて起訴された事実があるのであります。