1968-10-22 第59回国会 衆議院 内閣委員会 第7号
いまではたったの一千トン、二千トン、三千トン、まあ川蒸気のようなものだ。それが大きく新聞に日本の練習艦隊が来るというので報道される。そうすると、外国人もみな日本の軍艦はどんなものだろうというので、海岸へ密集して見に来る。在留邦人もみんなやってきます。そうすると、外国人はそれを見て、あんまりちっぽけなものですから、みんな笑うというのですね。
いまではたったの一千トン、二千トン、三千トン、まあ川蒸気のようなものだ。それが大きく新聞に日本の練習艦隊が来るというので報道される。そうすると、外国人もみな日本の軍艦はどんなものだろうというので、海岸へ密集して見に来る。在留邦人もみんなやってきます。そうすると、外国人はそれを見て、あんまりちっぽけなものですから、みんな笑うというのですね。
そのために渇水期には下流ではほとんど水がかれてしまって、私の生まれる以前のことだからどの程度のことであったか知りませんが、私の曾祖父あたりが宇治川の川蒸気を始めたなどというふうなことを聞いております。とにかく宇治川には舟運の便というものがあったのが、洗せきができたために完全に舟運の便というものが閉ざされている。
ことに、そちらの地図にもございますが、マンダレー付近のあのイラワジ上流百マイルを仏教遺跡参拝のために上下いたしまして、川蒸気で行ったのでありますが、デッキの上で曹洞宗管長高階老師を囲みましてお経を上げまして、持って参りました地蔵菩薩の三万枚の絵姿を川に流しまして、いわゆる地蔵流しの法要をいたしたのであります。
将来年三十万トンぐらいの石炭が使う道がなければこんな炭鉱をやつても無意味だということをよく申しまして、それでそのぐらいには使える、ラングーンまではもちろん使えることになりますから、ラングーンのボイラーに、また川船の、川蒸気のボイラーにたくとか、汽車のボイラーにたくという工合に、今まで汽車のある山の方では薪をたいておるようですが、そんなものを全部石炭に変えるということでもすれば、年三十万トンぐらいのものは