1984-03-27 第101回国会 衆議院 地方行政委員会 第5号
最後に、私は、五十五年の川治温泉ホテルにおける六十七名の罹災者を出しましたあの悲しい惨事が今脳裏から離れませんが、これによって全国的に「適」マークがいよいよ入ったわけです。 今日までの「適」マークの適用施設が、ちょうど五十八年度から拡大されたようでありますが、新たに対象施設に加えられた一定規模以上の劇場、映画館あるいはまた百貨店などへの交付率が三一・四%に相なっているのじゃないかと思う。
最後に、私は、五十五年の川治温泉ホテルにおける六十七名の罹災者を出しましたあの悲しい惨事が今脳裏から離れませんが、これによって全国的に「適」マークがいよいよ入ったわけです。 今日までの「適」マークの適用施設が、ちょうど五十八年度から拡大されたようでありますが、新たに対象施設に加えられた一定規模以上の劇場、映画館あるいはまた百貨店などへの交付率が三一・四%に相なっているのじゃないかと思う。
このような火災の原因といたしまして、私といたしましては、やはりこのホテル側の対応のまずさという点が第一点ありますと同時に、片方消防機関におきまして、このような火災が発生いたしますまでの間、川治温泉ホテル以後もいろいろと指導はやってまいったわけでありますけれども、また、東京消防庁といたしましてもそれ相応の対応をしたとは私ども存ずるわけでありますけれども、結果的にはこのようなことが、設備の不備に基づきますものが
○伊藤郁男君 消防の面では、防災上の見地から川治温泉ホテル以後一斉に全国のそういう関係のホテル、旅館などの総点検をやっていますね。今度の場合もやっぱり消防庁の方は再点検をやっていると、こういうことなんですが。建築の面で、こういう事件を契機にして全国一斉に再点検をやる、こういう体制が建設省にはないんですか。
なお、旅館、ホテルにつきましては、一昨年の川治温泉ホテルの火災にかんがみまして、消防法上の一定の基準を満たしておりますものにつきましては、消防法上の「適」マークを交付するという制度を実施しておりますが、このホテルはスプリンクラーの未設置等がございましたために、「適」マークは交付されておりませんでした。
川治温泉ホテル以来こういう痛ましい惨事が続いておるわけだし、今後もこういう状況ですから起こらないという保証はないと思うのです。
だから、今後も川治温泉ホテルのようなああいう悲惨な事故を再び起こさないために、単に「安全、確実、迅速な誘導が可能となるよう十分配慮」されたいと、この程度の指導ではまずいと思うわけですね。
それで、いま問題になっているこの川治温泉ホテルが大きな火災で大惨事を引き起こした一つの原因は、継ぎ足し継ぎ足しで迷路のようになっている、それが非常に大きな原因として取り上げられておるのです。満月城の火事の後で、安全でないのは許可しないということをはっきり決めてある。
○佐藤(敬)委員 そこで消防の方にお伺いしますけれども、川治温泉ホテルが安全だというので厚生省に対して確認したのですか。
川治温泉ホテルの問題がありまして、そのことで関連をいたしまして、実はわが党の政策審議会を通じまして、先ほどまで、一体防火管理者はだれかと確認をしておったんですが、明確な返事が全然返ってこないわけですね。だれだかわからぬ、こういう状況なんです。
たとえばよく問題になるあの川治温泉ホテルへの融資の件、この件について、一昨年十二月の同信用金庫の総代懇談会において、浅野さん、当時理事長みずからが語っておりますように、お父さんを通じて融資の依頼があって、融資をしたところがおかしくなったので、弟さんの経営する丸彰という会社に川治温泉ホテルの株全額を引き取らせる。
たとえば高橋前銀行局長などは、問題の川治温泉ホテルを使わせてもらうべくたびたび東京信金に電話を入れられるとか、長岡實さんを励ます会なるものが、いわゆる信総研グループという形で料亭千代新で行われるとか、あるいは事務次官クラスの方が現職のときに、夫婦で京都のある信用金庫の三階から何とか祭を見物したとか、私の耳にもたくさんのことが入ってきます。
其の後種々雑談を交えた後、七時頃今市市を三台の自動車に分乗して川治温泉に向かい、川治温泉ホテルに八時半頃到着致しました。私達は部屋を取りました。(以下二百二十九字省略)森病院問題等ここに来た用むきもすんだので、十時頃辞し、私どもはそろって帰宅致しました。私が日光の自宅に戻ったのは十一時一寸過ぎでした。