それから、もちろん抜本的には由良川改修の早期完成というのが求められると思うんですけれども、この点について国土交通省の答弁を求めたいと思います。
しかし、その一六〇〇年代の利根川の家康の作業というのは、全国的に同じように武将によって展開されまして、北上川の改修が伊達政宗によって行われ、そして直江兼続がやはり米沢藩ということで行かされたわけですが、争奪戦の時代がそこで終わりを告げまして、我が領地をどう守っていくかという中に、大名がこの意識を持つのが一六〇〇年代であり、大阪の大和川改修、あるいはまた広島のそういうものもそうです。
○穀田委員 きょうは、京都由良川改修事業について質問します。 京都府北部の由良川は、暴れ川と呼ばれるほど氾濫を繰り返しています。一九八二年の台風十号、その規模の降雨に対して対策をとろうというので、二〇〇三年に、災害発生の防止や軽減を図ることを目標に、おおむね三十年かけて整備計画が策定されました。 ところが、その策定した翌年の二〇〇四年に二十三号台風で大災害が起きる。
徳川家康が利根川を、東京湾に通じた利根川を太平洋側に付け替えるという利根川の東遷、そして荒川の西遷、あるいは大阪の大和川改修、そして伊達政宗の北上川改修、一六〇〇年前後というのは我が国の土木においても極めて重要なときだったと思いますが、これを聞きまして、これは観光庁とも連携取って、地震があった後なんですよね、これ、非常にそういう意味からいきまして意義のあることだと思います。
一六〇〇年前後は、特に治水というのと、戦国時代が終わりまして、我が領地をしっかり整備していかなくてはならないという、物取り合戦の時代ではなくて、自分の領地を守るということがあったものですから、利根川の東遷、荒川の西遷、徳川家康のやった河川改修、あるいは伊達政宗の北上川改修、大坂の大和川改修、そうしたことが戦国武将によって行われて、そして、常に、河川もそうでありますが、道路もそうした営みの中で街道をつくってくるという
河道整備に当たりましては、先ほど冒頭に申しましたように、いわゆる上下流のバランスを確保することが必要でございまして、その点から、大戸川ダムが整備されない段階においての大戸川改修について、下流の方々が改修に伴う影響を懸念されていることは承知しております。
一方、田方平野の浸水被害の状況を調査すると、支川の雨水が狩野川本川に排出できないため内水はんらんを起こしている、こういうことで、地元からも、狩野川改修促進期成同盟会が毎年のように国へ要望活動を行っており、この要望書にもあるように、排水ポンプの増設また能力アップ、狩野川のさらなる土砂のしゅんせつについて、お伺いをしたいと思います。
二百六十三万人でありまして、淀川の流域、中下流域に住んでいらっしゃる方が五百万人、全体で今一千百万人という方が流域にお住まいになっておられるわけでございまして、この淀川が、全くはんらんが問題ないというように日常は考えられておられる方が多いわけでありますけれども、しかし、旧河川法、明治二十九年に旧河川法が制定をされるわけでありますけれども、このときの第九回帝国議会における建議の中にも「淀川、木曽川、筑後川三川改修
○土屋政府参考人 大橋川改修に伴う中海への影響についてのお尋ねでございますけれども、斐伊川水系では、流域の浸水被害を軽減するため、上流の志津見ダム、尾原ダム、中流の斐伊川放水路、下流の大橋川改修のいわゆる三点セットで事業を進めてきています。
奥山紀伊長島町長からは、床上床下浸水三百二棟を始めとする住民の被害状況を踏まえ、見舞金制度の拡大と創設、赤羽川改修の早期着工、激甚災害の指定等について要望がなされました。 次に、海山町に移動いたしました。
この三条新聞というのは、三条市民のほとんどの、大変多くの世帯が読んでいる新聞でございますけれども、この新聞記事に、国土交通省は五年以内に五十嵐川改修に着手する見通しだという記事が載っておりますが、これについては事実であるかどうか、責任ある河川局長としての公式発言としてとらえてよいのか、お伺いをしたいと思います。
○小沢(和)分科員 今、国土交通省の方は、河川の掘削が難しいとか景観上望ましくないというようなことを言われておりますけれども、これまでも、私、資料の三につけておきましたけれども、「球磨川改修事業における箇所別の主な工事一覧」というのをごらんになっていただいても、人吉の大水害以後、系統的にあっちこっち掘削を行っておるわけであります。
さらに、一九七五年にコンクリート三面張りをした大牟田川改修の際に出た土砂で、しゅんせつをした土砂埋め立てがございますが、そのそばに沈殿池もございます。そういう場所にRDF発電所などの建設が進んでいるという問題があるわけです。 大牟田市は、資源化施設計画地が沈殿池であったということを認めております。しかし、環境影響評価は六カ所でしか行っておりません。
また、斐伊川や神戸川におきます治水計画は、上流の二つのダム、斐伊川から神戸川を経由して日本海に放流する斐伊川放水路、そして、中海と宍道湖の湖岸堤整備と両湖を結ぶ大橋川改修、通称、いわゆる三点セットを基本とする上下流域が一体となったものでございます。この治水計画につきましては、鳥取、島根の両県、さらに両県の県議会、関係市町村及び関係の市町村の議会等へも説明いたしております。
なお、支川につきましては、この佐保川本川が改修されないままにポンプアップ等で水を出しますと、佐保川に負担がかかり過ぎますので、佐保川本川の改修終了後、築堤を主体とした支川改修を進めますが、浸水被害を軽減するために、流域での雨水貯留の浸透施設整備や、必要に応じてポンプ排水による対策を検討してまいりたいと考えております。
その後も、この大林組は、一九九四年に京都市からJVで受注した中川トンネル工事、それから九五年に受注した七瀬川改修工事、これは伏見区ですけれども、同じく収納書を偽造していたことが日本共産党の市議会議員団の調査によって明らかになりました。それで、京都市はこれを認めたのです。同時に、大林組もこれを認めた。そして、大林組に対して二度にわたって厳重注意処分に京都市はしておるわけなんです。
建設省の方が、野洲川改修というのを守山はやっておりますが、そういう中で、そういうことであれば、野洲川という琵琶湖に注ぐ一番大きな川ですけれども、その中で蛍が飼えるようにふれあいの河川をつくってあげましょうということまで進んできておりますので、そのことにおいて私は人と自然との心の触れ合いをしっかりと構築していきたい。そのことをやらせていただくことで、地方分権等をお願いしております。
ところで、きょう取り上げたいのは、多摩川水系の平井川改修で取り組まれている多自然型川づくりについてです。これは今後のモデルとなっているものなので、真価が問われる事業じゃないかと思うんです。 私は去年、秋留台開発の調査で現地へ行きまして、この平井川開発も数カ所見ました。それで、きょう質問をいたしますので、政策スタッフが十一日に現場へ行きました。
今後も河積不足の東和町落合地区の築堤工事を実施しまして、支川毒沢川改修とあわせて計画的に実施してまいりたいと考えております。 金ケ崎町の三ケ民地区におきます北上川右岸堤防の補強につきましては、地元の要望を承っておりますが、今後調査の上、対応してまいりたいと考えております。