1997-03-21 第140回国会 参議院 労働委員会 第5号
八時間労働制というその考え方を実行に移した発祥は、神戸の川崎造船所、大正八年、一九一九年だったそうでございます。あの大震災の神戸のハーバーランドの一角に八時間労働制発祥の地記念碑というのが建ってございまして、この前行きましたらちゃんと震災にもめげずに建っておりまして、テレホンカードにもなっておりました。
八時間労働制というその考え方を実行に移した発祥は、神戸の川崎造船所、大正八年、一九一九年だったそうでございます。あの大震災の神戸のハーバーランドの一角に八時間労働制発祥の地記念碑というのが建ってございまして、この前行きましたらちゃんと震災にもめげずに建っておりまして、テレホンカードにもなっておりました。
これは実に昭和十年に週四十時間制に関するILO第四十七号条約が採択されてから既に六十年、あるいは大正八年、神戸の川崎造船所が八時間労働制を採用して以来ちょうど八十年近い歳月が流れておるわけであります。
それからまた大正十年、一九二一年でありますが、これもちょっと調べてみますと、神戸の三菱、川崎造船所においてストライキが起きている年なのであります。それからまた一九二一年というと、この明くる年の一九二二年に部落解放運動の実質的な初めての取り組みである全国水平社、あるいは農民組合、日本共産党の創立、こういう出来事が続いております。
そこでいま言う数字が四年間に七百三十万トンの造船ができるかということになるだろうと思うのでありますが、それは十分私はそれだけのキャパシティは現在の能力でできると思いますし、現に川崎造船所は新しい十万トン以上十五万トンまでの新造船所をある方面に計画いたしておりまして、これも二、三年のうちには稼働し始めますし、その他の各造船所もそれぞれ新造船台をつくっておりますから、われわれの計画しておる保有船舶量並びに
○説明員(鈴木春夫君) 大型船のトン数にもよりますが、現在非常に大きなクラスに属する船を作れるといわれておりますのは、長崎造船所、三井造船所、それから日立の因島造船所、佐世保船舶工業、それから神戸の川崎造船所——これはちょっと規模が小さくなります。それから横浜造船所、その程度でございます。それからもう一つ播磨造船相生工場でございます。
この検査員は、昭和九年に大阪帝大工学部の造船学科を卒業されまして、その後二十五年ごろまで川崎造船所等におきまして船舶の建造技術並びに船舶検査関係の業務をずっとやっておった方でございますが、それが昭和二十五年以来日本海事協会の検査員といたしまして、各所を回って、現在相生市駐在の検査員をやっている人でございます。
それからもう一つの理由といたしましては、横川先生からも御質問がありましたが、各会社におきまして社内預金というものが非常に最近盛んになって参りまして、これがために、まあ例を、神戸の川崎造船所の中には構内郵便局があるのでございますが、そこで昨年一千万円というものを通常貯金の払い戻しがあったわけでございます。これを調べてみましたところが、大体、川崎造船所で社内預金ができたために一千万円減った。
それから川崎造船所のこれは育英制度のようにもとれますけれども、県立工業の夜間部を、造船所が一切の経費を持って、学校経営を助けるという形において、その反対給付の形で工員に一般乙種工業の課程を十分受けられるような便宜を供与しておるわけなんです。さらにその中から、今工科大学になっておりますが、大学まで進級するような道を開いて、技能養成のきわめて高い制度が実施されてきている事例が、日本にもたくさんある。
本年の六月十五日の日づけをもちまして報告になつておりますが、この中で兵庫県におきましては、御承知のように新三菱神戸造船所、川崎造船所、それから播磨造船所の三大造船所を有しております。この中で四月末、倒産または休業状態にあるのは五十六工場と報告をされております。
それから神戸は神戸製鋼所の砲弾工場につきまして視察して、そうしていろいろ小松製作所の枚方工場との比較等について大いに考えさせられるものがございましたが、次いで川崎重工の川崎造船所並びに神戸港の視察をいたしまして視察の日程を終つたのでありますが、詳細につきましては書類を以て御報告いたします。私の報告はこれを以て終了いたします。
それでたしか川崎造船所の一つの社債だけでも、あれは人は万人を超えておつたのではないかと記憶いたしております、或いは万人近いものじやなかつたかと思いますが、それを一々集めたりしたつてしようがない。
次に神戸へ参りまして、中日本重工業の神戸造船所及び川崎造船所を視察いたして参りましたが、越船技術について世界に誇つたところの日本の技術が、今やアメリカの技術よりも遺憾ながら十年或いは二十年間のギャップができてしまつたということを、業者みずから認めざるを得ないというところまで落ち込んでしまつた。
川崎造船所、三菱造船所とかいうような方面も、私つぶさに視察して参りました。その造船所の中の、たとえば浮きドツクをどちらに持つて行くとか、あるいは旋盤をどうするとかいうような御意見がかりにありとするも、かくのごとき厖大な施設は、明治初年以來営々として築き上げられたものであつて、この一部を持つて行つても、それにはおのずから原料を製造する工場をまたこしらえなければならない。
二十八日に神戸に帰りまして、川崎造船所を視察いたしまして、同所に参集されましたその他の造船関係の業者の方から特に又意見を徴しまして、更に神戸港海上から具さにこれを視察いたしまして、同夜は兵庫縣並びに神度商工会議所共同主催による輸出増進対策に関する懇談会に臨みました。