2000-03-28 第147回国会 参議院 国土・環境委員会 第7号
私は、甘樫丘の周辺、あるいは川原寺の周辺、石舞台のあの横の飛鳥川に、もう蛍がいっぱいその季節になったら飛び交うというのは、私はこれはまた日本の心の安らぎを、同時にあの明日香、しかも世界的に今有名になっている明日香でそういうものをつくっていくのも大事ではないかなと。私の仲間とあそこで蛍を育てる会をつくって、そしてそれを実現しようと考えてくださっている人たちも今いらっしゃるわけでございます。
私は、甘樫丘の周辺、あるいは川原寺の周辺、石舞台のあの横の飛鳥川に、もう蛍がいっぱいその季節になったら飛び交うというのは、私はこれはまた日本の心の安らぎを、同時にあの明日香、しかも世界的に今有名になっている明日香でそういうものをつくっていくのも大事ではないかなと。私の仲間とあそこで蛍を育てる会をつくって、そしてそれを実現しようと考えてくださっている人たちも今いらっしゃるわけでございます。
私は、ここから十分のところに住まいをしておりまして、小さいときは遠足で行ったり、また自分の子供ができてからもたびたび、車でわずか十分ですから、この明日香村に行きまして、甘樫丘に登ったり、あるいは川原寺の周りを散策したり、私自身も大変心和む思いでございますし、明日香を訪れた人たちも心安らぐ思いをされているに違いない。
例を挙げますと、たとえば特別史跡になっております高松塚古墳、石舞台古墳あるいは川原寺の跡、飛鳥寺の跡、大官大寺跡というように最古の官寺の跡が幾つかございます。
○山中説明員 明日香村関係で、いわば国の史跡に指定されるというような重要な遺跡としては、たとえば高松塚古墳、石舞台古墳、川原寺、飛鳥寺、大官大寺あるいは飛鳥板蓋宮跡と言われているところとか飛鳥稲淵宮殿、それからまた飛鳥水落遺跡など、十四の遺跡が国の史跡に指定されております。こういうもののうち、まだ調査が済んでいない、今後まだ相当かかるものもございます。
そこで、ひとつぼくの疑問というよりは、ぼくの考えなんですが、たとえば川原寺のところを国有にした。結構です。そうすると、国有にしたところは、今度は芝生を植えて博覧会みたいになるわけですね。プラスチックの礎石を置いてみる。ぼくはそうではなしに、飛鳥を守るためには、国有になっても、国有になったところでもとのままの農業ができるようにあったらいいな、これが個人の考えです。
あと二年ぐらいで済むと思われるのは川原寺、三年ぐらいで調査が終わると思うのは飛鳥稲淵宮殿跡、それから檜前宮跡、大官大寺はあと五年ぐらいかかるであろうということが想定されますが、一番学問的にも問題があり、不明であってむずかしいのは飛鳥浄御原宮殿の推定地、あるいは最近も問題になりました板蓋宮跡、これは何層にもなっておりまして、どの範囲に出ていくか、まだほんの一部が出ただけでございまして相当年数かかるのではないか
欽明・天武・持統・文武の天皇陵や石舞台や高松塚などの古墳をはじめ、飛鳥寺川原寺・橘寺・大宮大寺など多くの寺院・史跡や埋蔵文化財がのこされ、また万葉の飛鳥川・雷の丘・南渕山なども、むかしのままの姿で、古代のいぶきを伝えています。」 これは前村長である岸下さんが会長となって組織している「飛鳥古京を守る会」の趣意書の冒頭の文章でございます。
○土橋委員 あなたがいまお話しくださったことは、ここにちゃんと大体十二億七千万円の計画で、そして高松塚古墳その他の問題についても、あるいは川原寺はどうするか、あるいは橘寺はどうするか、周辺の遊歩道路はどうするかというようなことについていろいろこまかに出ておるわけです。そういうものに協力をする飛鳥保存財団という一財団であるわけです。
○説明員(高橋恒三君) 四十五年の閣議決定におきまして、文化庁といたしましては、藤原・飛鳥地区の指定地域を国費で公有化するということでございまして、藤原宮と、それから飛鳥地域の飛鳥手、川原寺等の地域の買い上げと、それから飛鳥の奥山に歴史資料館をつくるということで、現在土地買収も終わりまして、設計も終わり建築にかかるというところでございます。
したがって、そういうことが前提でございますので、この点につきましてのまず一つは、先般奈良国立文化財研究所の行ないました飛鳥寺、川原寺の発掘結果が、非常に当時の学問的な常識では考えつかなかったような新しい事実、たとえば飛鳥寺の新しい伽藍配置など、こういったこと一つが非常に大きな衝撃を与えたわけでございます。
さらにその翌年に、昭和三十二年から三十三年にかけまして川原寺(弘福寺)というお寺を掘りました。これは、後に弘法大師が京都の東寺から高野山へ行く途次にここを宿舎として賜わった寺でありまして、東寺にも文書がたくさん残っておるわけでありますが、この川原寺を発掘いたしまして、また飛鳥寺とニュアンスの違ったものが出てまいりました。
たとえば川原寺の場合には、現在の知識で、ある程度復元的な、建物がどういうふうに配置されておったかということが推定できるのでありますが、飛鳥寺の場合には、これは中国、朝鮮にもそのような例はございませんし、まして日本では最古の建築というと法隆寺になるわけであります。
施設整備とあわせまして、保存につきましても、飛鳥には、石舞台古墳なり板蓋宮跡なり飛鳥寺なり川原寺なり、いろいろなものがあるわけでございますけれども、具体的にどのようにして保存するか、その姿を村の人たちになるべく早く明らかにしていただく、そのことが、保存についての村人たちの共感を得るためには必要なことではないだろうか、こう考えるわけでございます。
それからもうちょっと左のほうへ行きますと川原寺、それから橘寺というのがございます。それからさらに左に行っていただきますと菖蒲池古墳、それからそのすぐ下に、先ほど申しました天武、持統天皇の合葬陵というのがそこにございます。それからその左のほうへ行きますと、欽明天皇陵、それからこの道路を横切りますと岩屋山古墳等がございます。
数多くの天皇陵や古墳をはじめ、飛鳥寺、川原寺、橘寺、大官大寺など、多くの寺院、史跡、埋蔵文化財が残されていますし、万葉の飛鳥川、雷の丘なども、昔のままの姿を伝えているのでございます。飛鳥の中心甘樫の丘の上に立ちますと、もろもろの遺跡を含めたいわゆる歴史的風土を一望のうちにおさめることができるのでございます。
それで藤原宮跡のお話が先ほど来出まして、たいへん重要であることはもちろんなんですけれども、ところが藤原京のほうは、奈良の平城宮を中心にしまして七大寺があって、そして京を形成しておりますように、ここもやはり飛鳥時代からの飛鳥寺をはじめ多くの寺々のあとがありますし、また現存しておる寺も、岡寺、川原寺あるいは橘寺のようなものがありまして、これも藤原京もしくは飛鳥時代の景観を保っておるわけです。