1985-11-21 第103回国会 参議院 運輸委員会 第1号
日航機事故で幸いにも助かった吉崎博子さん親子の救出のため担架でつり上げられました際に担架が異常に回転をしたため、二番目に救出をされた川上慶子さんは、担架を使わずに救助隊員が抱きかかえて救出をいたしましたことは報道写真で既に皆さんが見ておられるとおりであります。ただ、この場合の欠陥として、もし内臓に損傷がある場合には胸を締めつけて出血を起こしたり、さらには肋骨を折ったりする心配があります。
日航機事故で幸いにも助かった吉崎博子さん親子の救出のため担架でつり上げられました際に担架が異常に回転をしたため、二番目に救出をされた川上慶子さんは、担架を使わずに救助隊員が抱きかかえて救出をいたしましたことは報道写真で既に皆さんが見ておられるとおりであります。ただ、この場合の欠陥として、もし内臓に損傷がある場合には胸を締めつけて出血を起こしたり、さらには肋骨を折ったりする心配があります。
それと、生存者の救出に当たりましての自衛隊の状況について若干補足させていただきたいと思っておりますけれども、自衛隊といたしましては、その救助活動に当たる当初から生存者の可能性があるということで、救出部隊、救出ヘリコプターには医療品ですとか、それから救助器材ですとか、それから衛生隊員を一緒に乗せまして救出作業を行ったわけでございますけれども、先ほどの御指摘の川上慶子さんの場合には、自衛隊の医療関係者の
生存者の川上慶子さんとか落合由美さんが証言されておりますように、ほかにも生存者がいらしたというようなことが明らかになっております。私もちょっと事故当時テレビに食いついていたんですけれども、私も含めまして多くの皆さんが、なぜもっと早く救出できなかったのか、これだけ科学や通信機器が発達している中で、なぜトラブル発生時点で捜索機が発進できなかったのか。さらに、なぜ現場確認があのようにおくれたのか。
生存者は、吉崎博子さん、吉崎美紀子さん、川上慶子さん、落合由美さんで、いずれも女性でございます。 現在、遺体の収容、確認に全力を挙げておりますが、八月二十七日二十三時現在、遺体収容総数は四百九十二体、身元確認がなされた遺体は四百八十八体でございます。 事故の調査でございますが、航空事故調査委員会は、八月十三日事故現場における調査を開始し、現在までに主要な現場調査をおおむね終了いたしました。
このような関係機関の捜索救助活動の結果、生存者の救出は、八月十三日午前、四人の生存者が発見されたわけで、生存者は、吉崎博子さん(三十五歳)、吉崎美紀子さん(八歳)、川上慶子さん(十二歳)、落合由美さん(二十六歳)で、いずれも女性でございます。 遺体の収容、確認でございますが、これに現在総力を挙げております。
既に生存者の一人であります落合由美さんの証言の中で、墜落後生きておられた人がおられたという証言があったわけでありますが、今度は川上慶子さんの新たな証言が、墜落時や墜落後のまさに衝撃的な証言として報道されているわけでございます。 その一部は、墜落の急降下のときに、お父さんが私と咲子、それにお母さんの三人を両手を広げて抱えて守ってくれました。墜落後気を失った。
○近江委員 川上慶子ちゃんの模様がテレビで流れておりました。墜落したときにはお父さんも妹の咲子ちゃんも生きておったという証言をいたしておるわけです。初期のいわゆる救難活動におきまして、あの辺の急峻な山並み、夜間である、悪条件がいろいろあるわけでございますが、この初期の救難活動について反省はございませんか。いかがでございますか。
この結果、十三日の午前中には四人の生存者が発見されまして、生存者は吉崎博子さん(三十五歳)、吉崎美紀子さん(八歳)、川上慶子さん(十二歳)、落合由美さん(二十六歳)、いずれも女性でございます。このほかには生存者は現在までに確認はされておりません。
生存者の中に川上慶子ちゃんという十二歳の中学生がおいでになりました。その人が救出をされて救難ヘリにつり上げられる写真が報道されました。救難隊員がつり輪の中にぶら下がって、そして両手両足で幼いその子供さんを抱えてつり上げられました。私はこういうときの原則として、どのように肉体が傷んでおるかこれは現地ではわかりません、何よりも大切に扱わなければならない肉体であります。