1951-05-16 第10回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第6号
一時私が不在であつて、すぐ帰つて来たところが、次席の佐々木軍治警部の机の中に、岡川部長と、嶺岸巡査の決心を書いた書類が入つておりました。自分たちは今まさにほんとうに明朗な、何もこだわりないところの気持で出発します。こういう簡単な内容であります。どうぞ御心配してくださいますなという意味であります。そうして出張命令は釧路までという出張命令て、全部自費で捜査に行つたわけであります。
一時私が不在であつて、すぐ帰つて来たところが、次席の佐々木軍治警部の机の中に、岡川部長と、嶺岸巡査の決心を書いた書類が入つておりました。自分たちは今まさにほんとうに明朗な、何もこだわりないところの気持で出発します。こういう簡単な内容であります。どうぞ御心配してくださいますなという意味であります。そうして出張命令は釧路までという出張命令て、全部自費で捜査に行つたわけであります。
それから嶺岸巡査というのがこれと同行して行つたのでありますが、釧路ヘ連絡いたしますにしても、連れておるものでありますから、電話をかけることもできないわけであります。それで次の急行の四時の列車まで——これが八時に釧路を立つのでありますから、それまであの寒い釧路駅の待合室の片すみで二人が並んで静かに固まつておつた。
○細川証人 これは徐祐相を岡川部長と嶺岸巡査が連れて参りまして、二月の九日に出発しておるのであります。そうしてこれの兄でありますところの——これを申し上げる前にちよつと申し上げないと、そのときの状況がぴつたり来ませんが、この徐祐相は実は日本の内地、東京で生れたのでありますが、教育を受けるために朝鮮に帰つておりまして、そうして昭和二十二年に密入国しておるわけであります。