めからずっとながめてみておりまして、それといままで査察に関しましては、一九六一、二年ごろからもうウィーンにしょっちゅう行って、この査察に対して交渉を、現実に私たちの会社といいますか、これはもちろん政府でおやりになることでありますけれども、東海発電所の、査察を受けるという当事者の立場から、IAEAにしばしば出かけていって、政府交渉の手伝いのような形で現実にやっておるランダースとか、そういうような人たちを、うちの嵯峨根博士
一本松たまき
あるいはまた、嵯峨根博士や茅博士等を招いて朝飯会を開いて、常に学者の意見を聞いておった。そのことをどの程度実行したかどうかは別です。しかし、そういう心がまえで自分が進まれておったということは、最高トップ・レベルに立つ政治家として、私は非常に重要だと思います。今度実力者内閣ができて、池田総理は、経済政策に非常に重責をになわれて一生懸命やっておるので、その部分は三木長官に譲られたのだろうと思います。
中曽根康弘
○藤岡参考人 これは先ほど嵯峨根博士がお話しになった通りでありまして、CP5というのは一つしかございません。シカゴにあるだけだったと思います。そしてこれは五千キロしか出ていないのであります。しかし、それに類似の炉でもって一万キロ出ているものは、ほかにもございますし、研究のためには、一万キロ出る方が非常に望ましい。出れば出るにこしたことはないと望んでおったようなわけであります。
藤岡由夫
この人たちがことごとく一致して、帰っての報告は、イギリスのものを買いたいという話をし、また石川団長が、そのほか嵯峨根博士などをつれてアメリカ、カナダなどを回ってきました。
正力松太郎
私そのときに嵯峨根博士とほかお二人にも立ち会わせているから、そのお二人の博士にも話しましたら皆会得しました。それで私はその話を聞きましたから、すぐヒントン卿に、君の方に調査団を送ろう、そのときの金が幾らかと聞くと百五十億と言われました。日本は御承知のようにウォーター・ボイラーは八千万円で注文した。そこを百五十億というのです。
正力松太郎
ただ、調査団長の石川君、それに嵯峨根博士、原子力両次長の法貴君、これだけはちょっとアメリカを回る。調査団の副団長の一本松君を初め、みなすぐこっちに帰って報告することになっておるのであります。そうして、大体のことは言うてきております。ただ具体的の数字がないのであります。
正力松太郎
○松平委員 今の点でちよつとお伺いしたいのですが、アメリカが日本へ進駐して来た九月三日だつたかと思いますけれども、その数日後に日本の原子力の研究について向うから参りまして、嵯峨根博士その他が尋問にあつて、当時の研究した日本の資料は全部アメリカ側にとられてしまつた。
松平忠久
嵯峨根博士はバークレー大学で——当時研究の中心であつた仁科さんがなくなり、嵯峨根博士は今向うに行つておりますが、当時の資料は別に文部省に取返しておるという状態ではございません。
福井勇
そこで向うでは出先で山本博士に、それが専門家でもないと私は思いますけれども、丁度当時私はバークレイ大学におられる嵯峨根博士を丁度在米中だからやつてもらえば非常に都合がいいんじやないかということが話題には出ましたけれども、丁度ニューヨークにそれが会議が持たれたものですから、丁度こつちに山本博士は滞在しておられて、特にその招請状の中に技術のこと、だからこれは専門家で、相当咀噛できる専門家でないといけないと
福井勇
併し今後どういうふうにするかというようなお尋ねがありました点につきましては、従来とりました文部省の経過を概略申上げますと、学者を相当アメリカ或いはヨーロツパの方面にも派遣してこれが検討を加えておりますし、現にバークレー大学には嵯峨根博士も行つております。それから又各学者を原子核研究に目標をおいて視察に出したものも相当ございます。
福井勇