1967-07-20 第55回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号
実は数日前、九州のほうから、太宰府に崇福寺という禅宗の古いお寺の遺跡がございますが、そこに土地造成が行なわれるからそれの反対運動に賛成してくれという手紙を受け取りましたようなわけで、一日も早く何とかそういう方法を講じていただくことをわれわれ非常に熱望する次第でございます。これはわれわれの子孫のためにも、決してむだになることではないと思うのでございます。 簡単でございますが、以上申し上げました。
実は数日前、九州のほうから、太宰府に崇福寺という禅宗の古いお寺の遺跡がございますが、そこに土地造成が行なわれるからそれの反対運動に賛成してくれという手紙を受け取りましたようなわけで、一日も早く何とかそういう方法を講じていただくことをわれわれ非常に熱望する次第でございます。これはわれわれの子孫のためにも、決してむだになることではないと思うのでございます。 簡単でございますが、以上申し上げました。
長崎県の崇福寺は、約三百年前、中国僧超然の創建によるものでありまして、大雄宝殿とともに国宝に指定されている崇福寺の第一峰門は、檀首林仁兵衛によって建立され、各部材は中国で工作し、現地に運んで建築されたともいわれ、屋根は入母屋造り、朱塗りの四脚門で石階の上に立ち全体の構造、意匠等、中国風のりっぱな趣がありました。
長崎では國宝建造物は大浦の天主堂と崇福寺、興福寺、皓台寺であります。福濟寺は丸燒けになつて一物も留めておりません。天主堂はあれは何といいますか内陣の後の正面のステンドグラスその他が可なりいたんでおります、これは今修繕に取に掛かつております。崇福寺、興福寺は両方とも可なりいたんでいました。これも技師が入つて仕事をしております。