1972-10-28 第70回国会 衆議院 社会労働委員会 第1号
こういったことに経緯するうちに、昭和二十九年にフィリピンの山岳部隊がやはり元日本兵らしい者と遭遇して、一名が死亡したという情報が入りまして、調査いたしたところ、その一名が三名のうちの一人である島田庄一元伍長であることが明らかになり、そのためにフィリピン政府は救出隊の入国を認めてくれたのであります。
こういったことに経緯するうちに、昭和二十九年にフィリピンの山岳部隊がやはり元日本兵らしい者と遭遇して、一名が死亡したという情報が入りまして、調査いたしたところ、その一名が三名のうちの一人である島田庄一元伍長であることが明らかになり、そのためにフィリピン政府は救出隊の入国を認めてくれたのであります。
東京都というのは小塚金七さん、それから和歌山県は小野田寛郎さん、埼玉県は島田庄一さん、こういうふうになつているのです。この消息をもたらしたのは東京の台東区の浅草向柳原町一の二千三百六十一番地元陸軍兵長赤津勇一さんという方でありますけれども、新聞では家族の方がぼう然自失をしておるように報ぜられております。
それからルバング島の残留者の引揚げにつきましては、これはフイリピン政府にもいろいろ連絡をとつおるのでありますが、ただいま判明しておる者といたしましては、小野田寛郎、島田庄一、小塚金七の三名が向うに敗残兵のような形で残つておるのであります。ときどき付近に出ましていろいろのことをやるのであります。