1954-08-16 第19回国会 参議院 厚生委員会中国人俘虜殉難者遺骨送還に関する小委員会 閉会後第1号
二十七年度にも催すはずでありましたが、いろいろの事情でできませんで、二十八年の一月十七日にかの島津団長を初めとして在外邦人帰国打合代表団が中国に行かれるということでございましたので、私の寺で形ばかりの慰霊祭を催しまして、各代表団は皆御参詣下さつて中国に行かれたのであります。
二十七年度にも催すはずでありましたが、いろいろの事情でできませんで、二十八年の一月十七日にかの島津団長を初めとして在外邦人帰国打合代表団が中国に行かれるということでございましたので、私の寺で形ばかりの慰霊祭を催しまして、各代表団は皆御参詣下さつて中国に行かれたのであります。
○参考人(木内利三郎君) 只今島津団長、工藤代表から申しましたところで大体尽きておりまして、特に附け加えることもございませんが、私どもは交渉に当りまして作戦をするとか、馳け引きをするとか、そういうことは全然考えませんで、従前以来御家族のかたや、関係方面のかたと御一緒に研究し、調査して参りました問題を、全部率直にソ連側に持ち出しまして、隔意なく話合つたつもりでございます。
本日は、けさお帰りになりました島津団長その他の各位より、ソ連地区残留同胞の引揚げ問題について事情を聴取することにいたします。 この際私から参考人の皆様に一言ごあいさつ申し上げます。
ただいま閉会中の審査の件について御決定を願つたのでありますが、御承知のように、今夜ソ連地区残留同胞引揚げの交渉に当つた日本赤十字の島津団長以下の方々が帰つて参りますが、先刻議長に申し出ることに決定いたしました。閉会中審査すべき事件が院議によりまして付託になりました場合、これらの方々を当委員会に参考人としておいでを願い、ソ連地区残留同胞の実情調査に資したいと思います。
詳しいことはソビエトへ参りました島津団長以下がお帰りになつてから、さらに尋ねるべきかと思いますが、なお残つておられる方の遺族の方々としましては、一日も早くこういう事情は別らかにされたいというような御要望があろうかと思いますので、この機会にお尋ねをいたしておきます。
それで、そういうことも十分に考えて、いずれは島津団長からそういう点においてもいろいろな連絡があると思いますので、我々としてはもう現在ソ連におるところの日本の人たちを全部引取りたい。こういうのが我々の希望であるから、その点は十分にまあ連絡の場合においては皆さんもそういうことを考えて頂きたいと我々は思つております。
事前にそういう点については島津団長その他とあなたがたと打合せて行かれたと思いますが、できるだけ早くということは間違いないでしようけれども、用意としてはいつでもできる、受入態勢はいつでもできるということですか。
○千田正君 現段階においては島津団長の報告によるよりほかにどうしようもないわけですから、一応の今までの二人の説明によつてわかつたと思いすすが、長い間の監禁生活を受けて来られた人たちでありますし、その取扱についてもいろいろあると思いますが、仮に戦犯とすれば、まだ刑期が残つておる。
重複するかもしれませんが、在華邦人の引揚げの問題と在日華僑の引揚げの問題との関係でございますが、北京に代表団が行つておりまして、会議が済みましたときに、向うの廖団長から日本の代表である島津団長に、日本におる華僑を引揚船によつて帰すようにしてもらいたいということのお話が、第三次会談だと思いますが、そのときにあつたそうでございます。
○葛西参考人 コミユニケと今度の遺骨ないし在日華僑の問題ですが、これは、昨日平野さんがどういうふうな御説明であつたか存じませんが、私ども向うへ行つた島津団長並びに工藤外事部長から聞いたところでは、やはり今回の会談は昨年十二月一日の北京放送から始まるわけでありまして、この問題は、日本人で中国にいる人を今度帰すという問題だけが議題の中心であつた、共同コミユニケにもそれだけがある、たまたま代表団が向かうに
それから、華僑の帰国の方は、島津団長が三団体を代表し、また日赤を代表して、華僑の帰国については最善の努力を払うということを申し述べたような状況であります。帰りました以後は、行きますときからこの問題は新聞にも出ておりましたのと、日中友好協会などは前からよく取扱つておりましたが、なお周知徹底するという点については十分ではなかつたかもしれないと思います。
しかもこの問題は先般在華同胞の帰国問題打合せのために北京に参りました日赤の島津団長その他が、向うの関係者と話をしまして大体約束をして来ている事項で、外務省もたびたび善処するということをお話になつた。
丁度島津団長が心臓脚気気味で発熱されておりますので、今日は私が代つて概略を先ず申上げたいと思います。 丁度一月の二十六日に出発をいたしましてから三月の十日まで、北京の滞在は三十三日間でありました。
した、もうそれで結構だという、つまり電報をもらうことは恐らくここは一月や半月待つてもむずかしいじやなかろうか、といつて、併しこれを決裂しても帰つて来いというほどの意向も一向にこれには出ていないのじやないかということをいろいろ勘案いたしまして、大局的にここは工藤さんが言われたように、大事の前の小事だ、これは日本に帰つて国会或いは政府の皆様に十分御説明申上げれば納得頂けるのじやなかろうかというので、島津団長
実は今日、中共地区からの帰還者に関する打合せのために民間代表として一月の二十六日日本を御出発下されまして、去る十日、一昨日でありまするが、十日に御無事に御帰朝を頂きました島津団長以下七名の代表者の皆さん方に今日御出席を頂きまして、四十四日間に亙りまする北京におきましての引揚に関しまする会議に御列席下されました実情を本参議院の特別委員会におきましても承わりたい、こう存じまして、実は御多忙であり且つ又長期
今日島津団長が発熱せられましたので、団長よりまず最初のごあいさつを申し上ぐべきところ、かわりまして私から一言ごあいさつを申し上げたいと思うのであります。 一月の二十六日に出発いたしましてから、三月の十日に帰りますまで、四十二日間の日を経たのでございますが、二月の三日以来非公式に意見の交換を行いまして、正式会談に入つたのは、到着以来十五日目の二月十五日のことでございました。
島津団長がおいでにならないで、はなはだ残念でありますが、先ほどから承つておりますと、拒絶された、こわい顔をされた、怒られた、これ以上はつつ込んで聞けなかつた、これ以上は歯が立たなかつたということの連続でありまして、どうも役者が向うの方が一枚上手で、早くから計画しておつて、赤子の手をねじるように、向うの思うままに交渉をしたという感を持たざるを得ないのであります。
本日の日程は、中共地区交渉団体が昨夜帰国せられましたので、その島津団長以下三団体の代表者をこの席に招致いたしまして、交渉の経過並びに結果について御報告を願うことでございましたが、島津団長以下長途の旅行の疲れが出まして、本日の会議には出席することがきわめて困難でありますので、委員会におきましても、その事情を了といたしまして、明十二日午前十時から、七人の代表者に出席を求め、あらためて七人の代表者より中共
島津団長は責任を以てあのコミユニケを承認して帰られたようでありますが、私たち冷静に考えても、三団体の代表が引揚げをスムースにするために乗船して行くということを政府が拒否する理由がどうにも我々には納得いかないのです。ただ必要がないというようなことで片付けていらつしやるのか。それとも乗船されちや困るという点から強くその乗船を拒否なさるのか。その点を私は伺いたいのです。
去月二十六日に島津団長以下北京に参りまして、かの地の李徳全女史以下と交渉せられた、その交渉がやや完了したように考えられます。近く帰られますので、帰りましたらば、即刻この委員会にお臨みを願いまして、事情並びにいろいろのことについて御報告を承りたいと存じますが、参考人としておいでを願うことに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
とにかく、島津団長に対してそういうふうに交渉を今していただいているのかどうか。
しからば、中共側とその点について交渉しておるかということになりますが、さつそく島津団長とも連絡をとりまして御希望に沿うようにとりはからいたいと考えております。
がはなやかな時代にも、よく希望残留ということをしいられたのを思い出しまして、また五万八千と私どもが考えておりまするそのあとの二万八千なるものは、希望しないのに、いわゆる希望残留ということにされて残されるのではないかと心配するのですが、そういう点も何とか考えて、ひとつ向うへ連絡をしてくださいまして、ただ向う様のごかつてでとめられないように、ほんとうに帰りたい人は帰してもらうように、その点をぜひ日赤の島津団長
一週間前に島津団長から、あちら側でも六名ほどの委員をつくつてこれと折衝するというような報告が参つております。その後さつぱり音さたがないわけであります。外務省といたしましても、これについて非常に心配もし、関心を持つておるわけであります。あるいは外務省からも、何らかの方法で向うにわれわれの意思も伝え、督促もしてみたい、かようにも考えておりますが、まだ今日そこまでは行つておりません。
○佐藤委員長 この際ちよつと委員派遣についてお諮りいたしたいと思うのですが、島津団長以下六名及び工作員、随員の方々には、先月の三十一日に北京に到着以来、非常な御苦労をかけております。これにつきましては、委員会として感謝いたしておるのですが、おそらく三月、——今年度内にまず四千人は引揚げるという見込みでございます。
それから、次にお尋ねいたしたいのは、たとえば島津団長、それから高良とみ女史などが、新聞記者の方々に、帰つて来る人々はどういう順番で帰つて来るだろうかというような予想を聞かれておりましたときに、高良さんは、特に女であるとか、病人であるとか、子供であるとか、とにかく向うにおつて困るような弱い人々を先に連れて帰るというような話をしておいでになりましたが、これは私たちも当然だと考えます。
ということは、すでに新聞で散見いたして、大体承知はいたしておりまするが、今般中共側の呼びかけによりまして、日本の代表として島津団長以下七名の者が派遣されて、すでに中共に到着いたしております。
○玉柳實君 私ども第一班の台風災害視察団は、先月の二十六日、大分県を皮切りにいたしまして、宮崎県、鹿兒島県に亘りまして、十一月二日まで調査をいたしまして、帰京をいたした次第でございますが、その災害視察の一般概況につきましては、去る九日の本会議におきまして島津団長より報告がございましたので、私はこの機会に水産関係についての概況を御報告申上げ、併せて今後の施策を考究する上においての、御参考に供したいと考