1981-02-27 第94回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号
○瀬長分科員 御承知のように沖繩は基地の町、基地の島沖繩、失業の県沖繩と言われているところなんです。私が調べたところ、ここで復帰後来年で十カ年の今日に至るまで手帳の発給が一人もおらない。ゼロなんですよ。これはこの前新聞でも取り上げられまして、大変大きく書いてあるわけです。
○瀬長分科員 御承知のように沖繩は基地の町、基地の島沖繩、失業の県沖繩と言われているところなんです。私が調べたところ、ここで復帰後来年で十カ年の今日に至るまで手帳の発給が一人もおらない。ゼロなんですよ。これはこの前新聞でも取り上げられまして、大変大きく書いてあるわけです。
(拍手) しかし、いまさら多くを指摘するまでもなく、復帰して五年を経過しようというのに、県民生活は復帰前にも増して一層苦しく、核兵器及び生物化単兵器存在の疑惑も何ら解明されず、基地の島沖繩の実態はいささかも変わっていない現状であります。
とりわけ、復帰をしても、基地の島沖繩というイメージは何ら変わらず、県民の生活道路を封鎖しての米海兵隊の実弾射撃訓練、海水浴をしようとする女子中学生への暴行事件、伊江島での青年狙撃事件など、米兵による悪質犯罪が続発しているありさまであります。
したがいまして、これは日本は四つの島、沖繩を入れますとさらに多くなりますが、いろいろ島々がございますので、国土を結びつけるという一号該当の国道要件でございますしたがいまして、海上も国道のネットワークの中に入れておるわけであります。もちろん道路としての実態がございませんので、いろいろ統計上の延長からは外されておりますが、海上も国道のネットワークの中に入るという考え方で指定をしておるわけでございます。
爆弾の島沖繩と、こういうぐあいだ。そういうところなんでしょう。それを、総理府がその処理費にわずかに予算を一億ですか、四十八年度。冗淡じゃありませんよ、ほんとうにね。まあ、総理府はあとでいい。いま山中長官に……。 この爆弾の手当が一時間に三十二円というのは、これは長官、どうですかね、子供だましですよ。三十二円といえば、あめ玉一つくるかな、あるいはこぬかもしれない。
平和の島沖繩を築くための自衛隊の配備計画には、そうした意味のものを持っていく。 最後にもう一つ、陸上十八万という部隊はもう古くさい。実際はそこまで来ぬ。自衛隊には不正事件がたくさん起こっておる。
われわれの日本復帰の要求は、アメリカの基地の撤去により日本国民としての権利の回復をはかり、同時に、平和の島沖繩を取り返すことであります。しかるに米軍基地はほとんど撤去されることなく、なおその上に一個師団の自衛隊を配備されるということは、とうてい納得のいかない措置であり、何のための復帰かと問わざるを得ません。
もう一点は、平和な島沖繩にするための開発についていろいろ提言がございましたが、もちろん、あらゆる面での施策は重要だと思いますが、今後沖繩の経済がこういった基地経済ということから脱却をして、ほんとうに平和な豊かな沖繩県になるためにはどの部門、特にどれを重点的にやることが一番沖繩の方たちの豊かな生活に結びつくか、いろいろ重点的なものはあると思いますが、その重点の一番中心点をあげていただければありがたいと
われわれの日本復帰の要求は、アメリカの基地の撤去により日本国民としての権利の回復をはかり、同時に、平和の島沖繩を取り返すことであります。しかるに米軍基地はほとんど撤去されることなく、なおその上に一個師団の自衛隊を配備されるということは、とうてい納得のいかない措置であり、何のための復帰かと問わざるを得ません。
もう一点は、平和な島沖繩にするための開発についていろいろ提言がございましたが、もちろん、あらゆる面での施策は重要だと思いますが、今後沖繩の経済がこういった基地経済ということから脱却をして、ほんとうに平和な豊かな沖繩県になるためにはどの部門、特にどれを重点的にやることが一番沖繩の方たちの豊かな生活に結びつくか、いろいろ重点的なものはあると思いますが、その重点の一番中心点をあげていただければありがたいと
われわれの日本復帰の要求は、アメリカの基地の撤去により日本国民としての権利の回復をはかり、同時に、平和の島沖繩を取り返すことであります。しかるに米軍基地はほとんど撤去されることなく、なおその上に一個師団の自衛隊を配備されるということは、とうてい納得のいかない措置であり、何のための復帰かと問わざるを得ません。
もう一点は、平和な島沖繩にするための開発についていろいろ提言がございましたが、もちろん、あらゆる面での施策は重要だと思いますが、今後沖繩の経済がこういった基地経済ということから脱却をして、ほんとうに平和な豊かな沖繩県になるためにはどの部門、特にどれを重点的にやることが一番沖繩の方たちの豊かな生活に結びつくか、いろいろ重点的なものはあると思いますが、その重点の一番中心点をあげていただければありがたいと
これには、何と申しましても、われわれが、祖国復帰、それを実現して、そうして期待されるような明るく豊かな平和な島、沖繩県づくり、これをつくることの見通しを立てることが、何よりもの説明であり、そこらに期待が持てるんではないだろうかと思います。そういう意味で、われわれの足りない点は野党の諸君からも鞭撻を受けて、そうして真に望ましい沖繩県づくりに邁進したいと、かように思う次第でございます。
戦前の平和の島沖繩は、その地理的へき地性とそれに加うるに沖繩に対する国民的な正しい理解の欠如等が重なり、終始政治的にも経済的にも恵まれない不利不運な下での生活を余儀なくされてきました。その上に戦争による苛酷の犠牲、十数万の尊い人命の損失、貴重なる文化遺産の壊滅、続く二十六年の苦渋に充ちた試練、思えば長い苦しい茨の道程でありました。
私は、討論を行なうにあたり、本委員会に付託された四法案の根拠をなしている琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定、いわゆる沖繩協定に絶対反対であり、沖繩県民の要求である基地も核もない平和な島沖繩を実現することこそがいまや緊急の国民的課題であり、そのためにこそ、沖繩協定のやり直しを強く政府に求めるものであります。
もちろんその上に基地も核もない、戦前の平和な島沖繩、まる裸の沖繩になって戻ってくるべきであると思うのですが、どうでしょう。この第三条に施政権の返還のしかたについて別に定めてないところを現実の政治家はうまく利用しました。今日のようにややこしく事態をしてしまったのであります。
そこには、二十六年の長きにわたる異民族支配下にあった沖繩県民の祖国復帰への要求が、核も基地もない平和な島、沖繩の即時無条件全面返還であることを明らかにしているのであります。日米共同声明に裏打ちされた佐藤総理のいう核抜き本土並みの返還協定には疑問が多く、不満であることを訴えているのであります。
そこで私たちは、このような沖繩を、七二年に向けて完全復帰をかちとる、いわゆる基地もない、毒ガスもない、B52もない、原潜入港による汚染もない平和な島沖繩を取り戻していく、こういう願いを持って絶えずそれを要求し、訴え続けておるわけであります。皆さんもおっしゃるとおり、沖繩は空も海も自然もまことに美しい。
したがって、Cの電波で自分の位置を確認しますものが現に使われております以上、Cの電波が取れるような電波灯台が必要なわけでございまして、そのような意味で北海道の十勝太、それから硫黄島、沖繩というふうにC局が適宜の位置に配置されておるのではないかというふうに思います。
○佐藤内閣総理大臣 いま平和な島、沖繩についてそこまでお考えになる、万全の安全確保という意味からは必要なことかもわかりません。しかし、私は、さような点をただいま心配しておりません。そういうことを考えたこともございません。
ところが、だんだん今度、怒りの島が基地の島沖繩になった。そして今はどうなっておるかというと、基地に依存をする島沖繩になった。基地に依存をしなければ沖繩が生きていけないということは、沖繩にアメリカが根をおろし始めたということなんです。
時間も進みましたので、他へ移りたいと思いますが、昨年の十一月十日に、私が極東の地域の問題を聞いてから、がぜん混乱をいたしましたが、結局政府は、フィリピン、台湾、澎湖島、沖繩、韓国、日本、歯舞、色丹、南千島、これが条約の目的である極東である、こういう解釈であり、海外出動についてはこれに局限せられるものではないという統一解釈を、われわれにこの委員会で示されました。
ただいま先生のお示しの硫黄島、沖繩上陸作戦は、あの当時はすでに日本は制海権なく、また制空権も持つていなかつたと私は判断いたします。こちらはほとんど何らの海上、空中において防衛する能力なく敵の上陸を許したものである、かように判断をいたしております。先ほど先生は原子爆弾と仰せになりました原子爆弾、誘導弾、これはもちろん非常な最高兵器であります。