1948-09-27 第2回国会 参議院 治安及び地方制度委員会 閉会後第2号
本庄町の町長は病氣のため欠席いたしましたので、その代理といたしまして町の助役並びに町会の議長それから本庄町の公安委員、本庄地区の警察署長、本庄町自治体警察の署長、それから問題になつておりまするところの本庄区檢察廳の大場副檢事並びに飯塚事務官、それから本庄町駐在の各新聞の代表者及び朝日新聞の問題になつておりまする岸記者に暴行を加えたというところの元本庄町会議員の大石某、それからその事件の発端をなしました
本庄町の町長は病氣のため欠席いたしましたので、その代理といたしまして町の助役並びに町会の議長それから本庄町の公安委員、本庄地区の警察署長、本庄町自治体警察の署長、それから問題になつておりまするところの本庄区檢察廳の大場副檢事並びに飯塚事務官、それから本庄町駐在の各新聞の代表者及び朝日新聞の問題になつておりまする岸記者に暴行を加えたというところの元本庄町会議員の大石某、それからその事件の発端をなしました
九月五日のその朝日新聞の岸記者の記事を読みましても、如何にも大学を出たばかりの若い神経質な記者であるということは会わなくても分るような書き方であります。その純眞な青年の氣持を活かして、そうしてその事件を大々的に取上げて、そうして他の市町村、全國の市町村の自治体に対して反省を促したという点において、私は朝日新聞の取上げ方についてむしろ感謝している次第であります。
そこで八月七日に本庄町において、本庄区の檢察廳落成披露式があつて、その席上に、そこの町会議員の大石和一郎氏が酒を飲んだ上、朝日新聞記者の岸記者の顔面を平手で一回殴打したということがあつたのであります。で、その記者は非常に憤慨して、八月十四日に本庄町警察署に対して大石町会議員を暴行、名誉毀損で告訴をした。そこで同警察署においては、八月十七日事件を浦和地方檢察廳熊谷支所に送致をした。