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9件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1976-07-14 第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第15号

その流れの中に、たとえば四十六年の佐藤内閣時代岸特使の訪米、そしてニクソン氏との会談バイアメリカン運動への協力、つまり十億ドルの規模の兵器日本が購入できるかどうかの検討、そして兵器国産化路線のいわゆる見直し。それで、四十七年一月のサンクレメンテ。それからキッシンジャー氏のたび重なる訪日、再度にわたったはずだ。間に田中政権の発足、七月七日。そうしてホノルル会談に至る流れがある。

秦豊

1969-04-11 第61回国会 衆議院 外務委員会 第12号

それはそれなりに御理解をいただきたいし、また岸特使も、その点では私どもと十分考え方が一致しております。ことに岸内閣時分に、これが歯どめの役になるんだという説明をしばしば繰り返しているし、また国民の皆さんからも、そういう意味の事前協議、そこに重点を置いたものだ、こういうふうにみんなとっていた。むしろ私どもから見ると、そういう一方的な、どこかに重点を置くという事前協議、これはやや困るのではないか。

佐藤榮作

1969-04-01 第61回国会 参議院 予算委員会 第22号

国務大臣愛知揆一君) ただいま申し上げたとおりが事実でございますから、報道報道といたしまして、ニクソン大統領と会われるという前に、私が前々から申し上げたとおりのことをさらに念のために岸特使にもお話をしておるようなわけでございますから、御懸念のようなことは私は全然考えておりません。

愛知揆一

1969-04-01 第61回国会 参議院 予算委員会 第22号

多田省吾君 二十九日の夕刊の報道等を見ますと、岸特使葬儀に行くのだけれどもニクソン大統領がもし時間がなかった場合は、二、三日待ってでも会うのだとか、そういった積極的な発言をされている。また、このニューヨーク・タイムズ紙核抜き自由使用を主張しておる岸特使という報道も、その当時は特使じゃなかったでしょうけれども、こういう報道をしておることは総理だって御存じのはずです。

多田省吾

1969-04-01 第61回国会 参議院 本会議 第14号

政府沖繩本土並み返還をちらつかせながら核つき自由使用沖繩をかかえ込み、本土沖繩化をはかろうとしていますが、予算委員会での愛知外務大臣の「沖繩安保条約が適用される前に米軍が持ち込んだものは事前協議の対象にならない」という発言や、アメリカにおける岸特使沖繩自由使用基地を認める趣旨の発言は、その意図を暴露したものであります。

小笠原貞子

1959-11-30 第33回国会 参議院 外務委員会 第8号

吉田法晴君 それではまずお尋ねをいたしたいのですが、パラグァイとそれから日本との間に移民協定ができておりますが、この移民協定のうらはらになります、と申しますか関連をいたします造船協定が結ばれておるようでありますが、その造船協定の結ばれますまでには、これは新聞その他でいいますと、岸特使として行かれたということが報じられておりますけれども杉道助氏を団長にする。

吉田法晴

1958-07-30 第29回国会 衆議院 外務委員会 第10号

ということは、矢次さんが向うに岸特使として行かれて、この日韓の併合はあるいは当時はやむを得なかったかもしれませんが、あれは悪かったと言って土下座しているのです。それに対して岸さんは、そういうことを自分は言った覚えはないというふうに否定されている。

大西正道

1958-03-08 第28回国会 参議院 予算委員会 第8号

吉田法晴君 それでは岸特使として南米に行った杉道助氏がもたらしたパラグァイ商船隊ドックの建設に、きのうちょっと触れましたが、これについて重光外務大臣当時、在アルゼンチン井上大使から、それから調査に参りました佐藤参事官から、それからアメリカ大使であった黄田大使から、パラグァイには外債の支払い能力が少い。

吉田法晴

1958-03-07 第28回国会 参議院 予算委員会 第7号

それからついでに、これは大蔵大臣にお答えを願った方がいいかとも思いますが、岸特使としてパラグヮイに行かれた調査団、杉氏が団長でありますが、造船ドックの、何と申しますか、話をしてこられた。ところが、それは予算には出ません。あるいは今までのところ、実行する計画があるのかどうか知りませんけれども、少くとも予算には出ておらぬ。その出なかった理由を承わりたい。

吉田法晴

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