1952-03-04 第13回国会 参議院 決算委員会 第11号
○カニエ邦彦君 そうすると先ほど御証言になつたように、この字句ですが、横領の事実が認められたが、すでに全額返済でありという点においてはこれは証人がかように書いたものでなく、これは岡崎検事にあなたが問い合せたところ、いささか適当でなかつたという程度のいわゆる回答であつた、こんなことなんですか。
○カニエ邦彦君 そうすると先ほど御証言になつたように、この字句ですが、横領の事実が認められたが、すでに全額返済でありという点においてはこれは証人がかように書いたものでなく、これは岡崎検事にあなたが問い合せたところ、いささか適当でなかつたという程度のいわゆる回答であつた、こんなことなんですか。
○証人(渡辺留吉君) 大体その字句が妥当でないということは、先ほど申上げたように岡崎検事が言つておりました。その間の事情は先ほど来説明申上げたように、三十一万円の手形債務は残つているという事情にございます。
ところが岡崎検事渡米後に私が更に実に苦心をして調べたところが前の供述と違う、勿論国会での、ここでの供述とも違う。始終山下の供述はあたかも高橋の供述と同様に信用しがたい事情が出ております。そこで私どもとしては、できるだけ傍証を固めたいという気持であつたのですが、ともかく我々検事といたしましては自白の強要は一切できないのであります。一応本人の供述というものを取らざるを得ない。
丁度岡崎検事が渡米いたしました間もなくから、大体周囲の関係が明らかになりましたので、取りあえず大橋に対して答申書を取る、その上で答申書の如何によつて大橋を取調べをするという私の態度を決定しておつたのでありますが、ところで十月二十五日に私の名を以て大橋に対して答申の提出方を求め、これを求めるについては十項目の質問事項と言いますか答申書の内容をなすべきものの目標を示して答申を求めたのであります。
七月のたしか九日と考えておりますが、昨年の七月九日頃から平山検事及び鈴木検事をそのほうに廻しましたので、残つたのは結局主任検事の岡崎検事と私ということになつたわけでありますが、岡崎検事が八月から三カ月の予定で渡米をいたしましたので、その間私が単独で事件の捜査に当つたという形になつた。
そこで私どもといたしましては国会からの要請でありますから、私のほうの搜査部長岡崎検事に指名いたしまして本委員会から送付されました資料を検討せしめたのであります。
本件が多少長くかかつておることは申訳ないのでありますが、実は先ほど申しましたように岡崎検事を主任にしまして、それから渡邊という検事と、鈴木という検事を応援させ、三人で初め搜査をやらせまして、八月の例の起訴まで行つたのであります。
○大野幸一君 それからこれは何ですか、岡崎検事……、あなた特高部長をされていたので、先程岡田議員の話でちよつと気が付いたのですが、岡崎検事とあなたが特高部長時代に特高の関係でお附合いがあつたことがあるのですか。岡崎角という人……
○委員外議員(岡田宗司君) 私共新聞紙上で岡崎検事のことを見ておりました。岡崎検事は特高検事はやつておらんのだ、こういうことを言つておられました。岡崎検事は確か例の企画院事件、或いは京浜グループ事件、その他いろいろな特高警察関係の検挙に携つておられた。
しかももう一つ特捜部の岡崎検事の二月の二日かに釈放したという問題につきまして、民主党の方がおつしやいましたように、今までは全部詐欺事件で取調べておつて、その詐欺の取調ベの最中に突然一月三十日になつて裁判所側から保釈が出てしまつた。