1966-07-27 第52回国会 衆議院 文教委員会 第1号
○宮地政府委員 この岐山荘の問題につきましては、検察当局のほうで捜査も進められておりますので、一応この問題は、事の決着はついておりませんが、ともかくまことに遺憾なでき、ことであったというふうには反省いたしております。しかしながら、さらばといって、この問題は捜査当局でおやりになっていただいておりますから、その決着をひとまず待つ。
○宮地政府委員 この岐山荘の問題につきましては、検察当局のほうで捜査も進められておりますので、一応この問題は、事の決着はついておりませんが、ともかくまことに遺憾なでき、ことであったというふうには反省いたしております。しかしながら、さらばといって、この問題は捜査当局でおやりになっていただいておりますから、その決着をひとまず待つ。
五回にわたって、二月十六日から質問して今日に至ったわけでありますが、その間におきまして、特に岐山荘、岐阜県支部のいわゆる不祥事件でありますが、この問題について今日まで検察当局に捜査がゆだねられておりますが、結論が出ておらない。
岐山荘の会計から出しておるということだね。
○高橋(重)委員 そういう説明なら、たとえば三百二十万も岐山荘の会計から出ておるということにならないですか。これだけが岐山荘の会計から出ておった、登記手数料の一万七千八百十円だけが岐山荘の会計から出ておるだけでは、理屈が合わぬやないですか。そうですな。
○高橋(重)委員 私はこれで四度になるわけですが、公立学校共済組合の八十五万組合員が非常に関心を持っております教職員宿泊所の買収をめぐりまして、特に岐阜県で起きました岐山荘の敷地問題につきましていままでお尋ねしてきたわけでありますが、最初は、二月の十六日にここで第一回の質問をしたわけであります。
共済組合の岐阜の支部におきまして、現在有しております岐山荘の土地が狭隘であるために、新しい敷地を求めるということで、三十八年、九年にかけてそういう話が出てまいりまして、いろいろ地元で場所を選定した結果、現在藪田地区といわれている地区に約一千六百坪ほどの土地の購入が目鼻がつきまして、四十年の二月だと思いますが、正式に支部から本部に土地の購入の申請があり、本部は所定の手続をしてこれの購入の委任を認め、必要
そうしてそれを担保に入れまして仮登記にして、これは岐山荘用地として買ったわけです。千六百二坪、五百二十坪というのは一ところにあるわけですから、お役所は岐山荘の用地だ、用地だと言っておるわけです。相当の面積はあると思う。もう田植えもしまして作柄をとったのも二回ほどになるのですから、地元ではだれ知らぬ者はないくらいです。
○天城政府委員 これは登記面で千六百二坪岐山荘の用地として購入したということを組合から報告を受けているわけでございまして、私たち現地でその坪数を実測したりまた現場を私たちがあらためて確認したことはございません。
なお、これについての利用者の宿泊定員とか、あるいは会合定員等につきましては、現在、あるいは御案内かと思いますが、岐山荘というごく手狭な施設が現在共済組合の施設としてあるわけでございます。
村へいきますと、これは岐山荘の土地だ、教員の宿泊の土地だというわけで、そういう説明を受けているわけです。私もてっきり千六百二坪そこにあるのだ、売買契約書を見てもそうですか、共済組合の理事長が支部長に委任状を出されて、農地法第五条の規定による農地転用の許可申請書というものが出ておるわけです。というのは、こういう官公庁が農地を買うには、農地法の第五条を適用しなければ買えないわけです。
ここに陳情文にひとしいような覚え書きを書いてみえましたので読んでみますと、「昭和三十八年八月岐阜県教育委員会より岐山荘建設計画の申入れを受け其の趣旨につき検討の結果、地元が協力することになり土地改良区の関係理事が中心となり地主に協力者を募りました処意外に多数の売却希望者がありましたが、制限して先着の申入れを以て打切りて取纏めて岐山荘に売却しました」希望者が非常に殺到したというのです。
○高橋(重)委員 次は、岐山荘のいわゆる岐阜宿泊所というものが、土地は買われた、非常に不正事件まで起こして買われたわけですが、これはいつ建てられるか。私はかつて新幹線の新横浜の事件で、その関係者がここへ新幹線を引くのだ、そのことをブローカーに漏らして、ブローカーはその土地を買い占めた。
これはある人のものですが、「土地譲渡承諾書一金弐百五拾七万六千円也私儀所有表記の土地今回岐山荘敷地として前記金額を以って譲渡することを承諾致します昭和三十八年八月二十六日譲渡人氏名印公立学校共済組合岐阜県支部岐山荘所長伊藤一郎殿」岐山荘というのは教員宿泊所ですが、こういうふうでとって歩いた。