2019-03-19 第198回国会 衆議院 地方創生に関する特別委員会 第3号
私、奈良市の平城京近くに住んでおるんですが、この近くには歌姫町、山陵町という古い町があります。決して不便な町ではないんですが、随分人口が減っておりまして、特に若者がいない、子供がいない、一学年で小学生が一人もいない、そういう町でありますが、新しい町の開発が認められない地域、つまり市街化調整区域となっているわけであります。
私、奈良市の平城京近くに住んでおるんですが、この近くには歌姫町、山陵町という古い町があります。決して不便な町ではないんですが、随分人口が減っておりまして、特に若者がいない、子供がいない、一学年で小学生が一人もいない、そういう町でありますが、新しい町の開発が認められない地域、つまり市街化調整区域となっているわけであります。
現存最古の儀軌といいますのは、これは現在ソウル大学の奎章閣に保存されているもので懿仁王后山陵都監儀軌というのがございますが、これが十七世紀の本当に初めに作られたもので、これが最も古いものです、現存しているものとしてはですね。
たとえば、日本政府は中国の中山陵、すなわち孫文の墓前で行われる辛亥革命記念の式典に日本の代表を送り込むべきだ。そうすれば日中連携の原点を確認することができるであろう。」 どんな形でできるかは、総理が今言われたように、前面に出るのがいいのか、バックアップするのがいいのかわかりませんが、ぜひ政府を挙げて取り組んでもらいたいと思いますが、どうでしょうか。
その中で、国学者であり山陵研究家でもありました谷森善臣の説に従いまして、現在の神武田(じぶで)、ミサンザイの地に治定され、修補が加えられたわけでございます。
このほかに、陵墓でございますると、天皇、皇族の御参拝あるいは山陵、式年祭、例祭というお祭り事がありましたり、そういう準備をいたしましたり、土地、施設その他の皇室用財産の管守、保全というその財産管理の面がございましたり、地元自治体あるいは周辺住民とのいろいろな関係を築いていくという仕事がございましたり、陵墓の工事に際しまして、文化的価値の保全のための立ち会いですとか、調査の補助をしたり、災害、緊急事態
山陵、紫金山など見て歩いた。 そうして翌年の一月十九日に命令で転進したが、それまでは南京とその周辺の警備に当たつていた。したがって南京の大虐殺が行われたという時期、あったかないか、私は確信をもってお話しできるただ一人の人間だと思っています。 例えば火事があったという人、なかったという人がいる。あったという場合には焼け跡を示すことが出来るが、なかった場合というのは、明かしは立てにくい。
○宮尾政府委員 今回の皇太子殿下の御結婚に関係をする儀式といたしましては、本年四月九日に行われました神宮神武天皇山陵及び昭和天皇山陵に勅使発遣の儀、これから始まりまして、六月二十九日に予定をされております昭和天皇山陵に謁するの儀まで、大体十五くらいの儀式になるわけでございます。
そのほかに、その他の皇位継承儀式関係費、山陵御親謁の儀等の経費でありますが、これが三億一千九百万円であります。 また、宮内庁には一千二百万円を計上いたしておりまして、これは皇室活動随伴等の旅費でございます。 警察庁は十一億七千三百万円。これは装備、通信関係の費用であります。 外務省九億八千万円。
なお、そのほかに斎田抜穂の儀とか山陵等への御親謁なども予定をされておりますので、皇室行事として行われます諸儀式、諸行事に全体では二十五億六千七百万円を予定いたしておるわけでございます。 それから、大嘗祭の儀式経費二十二億四千八百万円の中でございますが、大嘗宮の儀に十八億二千七百万円余を予定しております。それから、大饗の儀で三億四千六百万円余を予定いたしておるわけでございます。
なお、そのほか斎田抜穂の儀とかあるいは山陵御親謁などのことも予定をされておりまして、そういった皇室行事として行われる儀式、行事に必要な経費を含めますと、全体では二十五億六千七百万円余を予定いたしておるわけでございます。
自衛隊は山陵じゃないんだということは、扇さんと林さんを別人だというのと同じなんですよ。こういうごまかしをやっているから問題が起こると思うんですよ。総理は、憲法の改正の問題について私どもが質問したことに対してまともにお答えになりませんでした。いいところはいいんだと。
○政府委員(山本悟君) いま孝明天皇の三周忌から変わったと申し上げたわけでございますが、それはまあ明治元年の十二月に行政官達というのが出ておりまして、これから「先帝三周 御忌辰神祇式ヲ以於朝中御祭典同日 山陵 御参拝被 仰出候事」というようなものが出ておりまして、そこから変わったことは御指摘のとおりでございます。
それから御喪儀、いわゆる大喪の儀でございますが、これは葬場殿という、それが一番重い儀式でございますが、普通の言葉で申しますと、いわゆる本格的な葬儀、告別式、こういうものに当たる葬場殿の儀、これを中心にいたしまして、御陵をどこに定めるかという地鎮祭の儀でございますとか、あるいはちょうど一年たちました折に山陵一周年祭というようなものまで、大小いろいろ規模はございますけれども、それを指折り数えてみますると
あと、いろいろお手元の資料でごらんになられたのではなかろうかと存じますが、権殿日供の儀とか山陵口供の儀とかいろいろございますが、これは権殿と言いますと御霊舎と申しますか、みたましろというようなものをお祭りをする、そういう実際の大喪の儀が終わりました後でそういう場所でみたまをお祭りする、一年たちますまでそこでお祭りするわけでございますが、そこにいろいろなお供えをするとか、あるいは祭祀を行うとか、そういうのが
それから御喪儀の方は、全部、山陵の一周年祭までというところまで規定がございましたわけでございますから、相当の期間の諸儀式が書いてございます。 それから御即位の方は、喪が明けられましてからと申しますか、一年以上たちましてから御即位礼というのが行われているわけでございまして、また、そういうような意味では非常に時間がかかっていろいろの諸儀式が行われている、こういうようなことになっていると存じます。
○山花委員 大別して、践祚の関係、御喪儀の関係、そして即位礼及び大嘗祭の関係ということで御説明を伺ったわけですが、践祚の関係が四つ、御喪儀の関係が二十九、即位礼及び大嘗祭の関係が二十八、この総計六十一の中で、特に即位礼及び大嘗祭についての各儀式について見てみますと、賢所に期日奉告の儀から始まりまして、たとえば神宮神武天皇山陵並びに前帝四代の山陵に勅使発遣の儀、神宮に奉幣の儀、神武天皇山陵並びに前帝四代
天皇陵の決定理由を記録してあります代表的な資料といたしましては、これは先生御案内の谷森善臣が幕府の山陵奉行の調べ方といたしまして探索、考定いたしました考証記録でございます「山陵考」、あるいは内閣の記録局の編さんいたしました「法規分類大全」、これは明治二十六年に公刊されておりますが、こういったようなものを根拠にいたしまして、それぞれの時期に陵墓、御陵というものが考定されておると、こういうようなことになっておると
それから、天皇陵の古墳が、いわゆる拝所を持ついまの形になったのは、幕末に宇都宮藩が大改修をして、そうして着工前と着工後の様子を対比した山陵図というのと、考証資料としてつくった山陵考というのはあなた方のところにあるんです。そうでしょう。で、あとは例の有名な蒲生君平とか、江戸末期、山陵志というのがあるんだけれども、そういうものが参考になったわけでしょう。
そしてまたいま一つ、二百二十五号線、つまり指宿線と分かれまして川辺に行く路線でございますが、これは非常に鹿児島湾に面して、薩摩半島にも山脈とか山陵が鹿児島にうんと近く接近をしております。
戦争中はもちろん、山陵の上を飛行機が直接に飛ぶこともできなかった、たいへんきびしくこの周辺が警護をされていた、そういう状態が長く続いたと思うわけです。やはり歴史の流れの中では、おそらく大正期に入って大正デモクラシーがいわれた時代には、学問の価値が尊重されて、少なくとも外形だけでも調査をなさった。
「不正事実 同人は、昭和三九年五月一日より奈良地方法務局登記官(登記課不動産第一係長)として、不動産登記申請の受付・調査・記入・校合等の職務を担当し、同四一年三月一九日同局会計課主計係長となったものであるが、 1昭和四〇年九月八日奈良地方法務局庁舎内で、かねてより知合いの宅地建物取引業者藤本喜蔵より、同人及びその他の者らの申請に係る奈良市山陵町字盗人谷一三七七番地の一の山林一二五平方メートルについての
○説明員(野崎清敏君) 奈良市につきましては、春日山特別保存地区千百四十ヘクタール、平城宮跡特別保存地区百七十二ヘクタール、山陵特別保存地区十七ヘクタール、唐招提寺特別保存地区二十九ヘクタール、薬師寺特別保存地区十ヘクタール、合計千三百六十八ヘクタールの特別保存地区の指定を諮問いたしたわけであります。
その他行われますものは、たとえば御婚約後のいわゆる結納に当ります納采の儀でございますとか結婚の日をきめます告期の儀でございますとか、当日皇霊殿あるいは神殿にお参りになる儀式でありますとか、御結婚後に東宮御所で行われる初めて両殿下の、まあ食事をともにされるという、これは非常に古い平安以来からの古いしきたりのものでございますが、そういったものでございますとか、伊勢に御参拝、山陵に御参拝になるというようなことは