2005-06-15 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第15号
私のところは、山間僻地でもない、鹿児島本線の沿線だから、田舎ではあったけれども、そうそう離れた小島とか山間僻地でもなかった。しかし、私が思うに、二年ほど前に見た中国の映画で、山の郵便屋さんというのがあるんですね。
私のところは、山間僻地でもない、鹿児島本線の沿線だから、田舎ではあったけれども、そうそう離れた小島とか山間僻地でもなかった。しかし、私が思うに、二年ほど前に見た中国の映画で、山の郵便屋さんというのがあるんですね。
運輸業界クロネコヤマトの宅急便の小倉さんのような、声がでかくて理論家なんというのは、山間僻地の農民にはおりません。ちょっと試しにやってみるかという人たちですよ。そういう声まで聞いていないんです。それは我々政治家の役割ですよ。感度のいい政治家がいたらとっくに直っていたでしょう。良心的な役人がいたら、担当者がいたら直っていたでしょう。何にもないから現場も知らない、だから放置されてくるわけです。
そして、これが津々浦々の、本当に山間僻地あるいは離島を守っているということなんであります。
したがって、しっかりと、山間僻地まで含めて、全国津々浦々のネットワークをカバーするような安定的な契約が当然のことながら条件になるというふうに考えられます。同時に、これは、承継計画そのものは主務大臣の認可にかかりますので、そういう観点からもしっかりその点はチェックをされるということでございます。
我々としては、やはり今の社会的な機能を考えますと、特に宮崎や和歌山やそういうところの山間僻地で郵便局に非常に依存している皆様方の利便は絶対に損ないたくない、そういう皆さんの利便を損なわないようにしよう。
山間僻地にも資金が渡せる、こういう意味だ。定額貯金だけであれば、コストが見合うところで集めた方がいいわけですよ。離島で集めなくたって、コストが見合うところで集めた方が採算はよくなるわけです。もしネットワークに意味があるとすれば、それは郵便振替、郵便為替、決済システムとしての意味だと思いますね。
○中山国務大臣 教育の機会均等ということは、これは義務教育費国庫負担法の関係でしばしば御質問もありましたし、またお答えもしたわけでございまして、義務教育におきましては、少なくとも中学校を卒業する段階では、それこそどんな山間僻地、離島に生まれても、同じスタートラインで人生をスタートさせたい、これが国の責任ではないか、このようなことを申し上げた記憶があるわけでございます。
それで、今お話のございました僻地保育所でございますけれども、これにつきましては、山間僻地等におきまして、設置基準といいますか、その最低基準に適合した保育所を設置、運営することが困難な場合に、公民館等を活用して常設の施設として保護を行うものであるというふうに承知しているところでございますけれども、この僻地保育所につきましては、市町村が設置主体とはなるものの、法律に基づいて知事の認可を受けた保育所とは異
○国務大臣(中山成彬君) 私は、基本的には、この日本という国に生まれた幸せ、これをしっかり自覚しながら、それぞれの子供たちがそれぞれの人生を本当に幸せに、そして有意義なものとして過ごせるような、そういう土台をつくってやる、素養を与えてやるというのが義務教育であろうと、こう思うわけでございまして、どういうふうな山間僻地に生まれても、やる気のある、勉強したいという子供たちにはしっかりとした教育が授けられるように
○高井委員 私も山間僻地に生まれた人間の一人なんですけれども、今までの教育のおかげで本当に機会を与えられ、無償制のおかげでちゃんと学校に通えたという部分では本当に感謝している部分も多いんです。 ただ、でも今起きている問題というのは、また時代時代によって別でございますので、ぜひとも真摯な御検討の方、よろしくお願いしたいと思っています。
先ほど言いましたが、日本人で生まれれば、どんな山間僻地、離島に生まれても、少なくとも義務教育を終える段階では同じスタートラインに立ってスタートさせたい、そういう思いで私は教育改革に取り組んでまいりたい、このように考えております。
日本全国どこに生まれても、どんな山間僻地、離島に生まれても、ひとしく教育を受ける機会を与えられるということでございます。二つ目が、教育水準の維持向上ということでございます。これは、日本国民として、日本の国家の形成者といいますか構成員として、しかるべき教育水準を維持するという意味だろうと思います。三つ目が無償制ということでございます。この三つが根幹であろうと思っております。それでいいですね。
日本のどこにいても、大臣が言われるようにどこにいたってきちっとした教育水準が確保されるということをやっていただかないと、昔は、人材は山に育つというふうに言われたわけでありますけれども、山間僻地の条件不利地に行けば行くほど教育を受ける機会やそういうものが損なわれてしまうということになりかねないのではないかというふうに思います。
どんな山間僻地に生まれても、少なくとも義務教育においてはひとしく教育を受けて、そして学校を卒業する時点においては同じスタートラインでスタートさせたい、これが国の責任ではないか、このように考えるわけでございます。 地方にできることは地方に、非常に、そういう意味では賛成ではございますが、まさに地方にできなくなるわけですね。
また、僻地で教育を受ける子供たち、複式授業だったりいろいろあるわけですけれども、私、いつも申し上げているのは、どんな山間僻地に生まれても、少なくとも義務教育はひとしく教育を授かって、義務教育を終わった段階では同じラインから人生をスタートさせたい、それが国の責任なんだということを三位一体の義務教育国庫負担制度の論争の中でずっと申し上げてきたわけでございまして、その気持ちは変わりません。
しかも、シビルミニマムであって、例えば郵政の仕事についても、どんな山間僻地でもワンデーズデリバリーを確保すると。これを民営でやろうったってできないんですよ。できないことを民営化ということでやっていくという矛盾だらけの問題を押し付けてですね、押し付けてというのはちょっと、済みません、これは言葉が過ぎました、そういう問題をほうり出しておいて、果たして解が生まれるんだろうかと私は非常に疑問に思うんです。
そういった意味では、山間僻地、離島におきましても、いろいろな形での郵便局の持っております機能というのは大事なところで、これをもって年金が受け取れる、恩給が受け取れる等々のものもありましょうし、また、町村合併によって役場が閉鎖された後、行政事務のかなりな部分は郵便局で受けるということも可能になろうと思います。
この問題を少し、ケーススタディーではないですけれども、具体的な論拠で考えようと思いまして、東京の中央にある割合豊かな地域にある小中学校と、宮城県の中でも仙台市の中心部にある小中学校、そして宮城県の中でも大変郡部、山間僻地にある小中学校で、財政状況、また手当等も含める教職員の報酬なり待遇、これにどのような差異があるかということで、私なりに調査を進めたわけでございますけれども、残念なところ、これもちょっと
そこで国としては、全体として、たとえどんなに山間僻地に生まれても、やはり日本人として生まれた以上ひとしく義務教育を受けることができる、こういう最低限の保障だけはしなきゃいかぬ。 そういう意味で、全体的な枠組み、それを担保するこの負担制度は維持しながら、かつそれぞれの教育というのは地方が創意工夫をして施してもらいたい、そういうふうに私は考えております。
○宇野委員 ちょっと私も解せないのは、これは格差が広がっても構わないというような思いがあったようでありますけれども、ある程度のものは構わないと思いますけれども、東京都のようなところと山間僻地の学校の教員さんとの差が余りにも出てくるようなことであれば、やはり教育の平等ということで非常に問題が出てくるのではないかな、そんな思いをしております。
私の問題意識は、私の出身地は、本当に、人口で申し上げますと二千百人ぐらいの極めて小さな山間僻地でございまして、こうした地域に住んでおる者からすると、本当にこの年限までにきちんと全国津々浦々までデジタル放送の波をかぶせていただけるようにやっていただけるのかどうか、大変心配をいたしている面があります。
私自身も、実は議員になる前に、二十五年間、弁護士として各地の無料法律相談をずっと担当して、今でも大臣の出身地であります長野県の山間僻地を定期的に回って無料市民法律相談をやらさせていただいているところであります。そういう意味で、この制度が国としてできるということは、本当に私は実はうれしく思っております。
しかし一方で、余り営利主義というと、山間僻地、離島とか、捨てられたり値段が高くなったら困るなという部分が、郵便事業にかかわる議論としては、大体争点もそこにあるということも含めて理解しておるわけです。 ところが、私なんかも地元でいろいろ話をするときに、そうしたら、町の人に、郵便貯金や簡保は民営化でどうなるのか知っていますかと言うと、それもですかと、普通の認識でいえば。
一方で、郵政省は郵政省で、二万四千、全国津々浦々、山間僻地で窓口を持っているのは郵便局だけでございますと言っているんだけれども、両方合わせるとほとんど重なっていて、山間僻地に行くと郵便局と農協が窓口二つ並んでいる。
固定電話網の場合は、都市部から山間僻地まであまねく公平にサービスを提供するという義務が課せられまして、全国ネットが今日張られているわけであります。