1981-03-20 第94回国会 参議院 決算委員会 第4号
それで、当時の中小金融課長の吉野良彦君、現在主計局の次長をされておりますが、この人物が話を聞いて、それはひとつ両者の間でお話し合いをなさいという仲介の労をとってくれたということを山田証人から私は聞いておるんです。そこで、大蔵省から、こういう事実があったのかどうかひとつ。
それで、当時の中小金融課長の吉野良彦君、現在主計局の次長をされておりますが、この人物が話を聞いて、それはひとつ両者の間でお話し合いをなさいという仲介の労をとってくれたということを山田証人から私は聞いておるんです。そこで、大蔵省から、こういう事実があったのかどうかひとつ。
○田中(彰)委員 山田証人にお尋ねいたしますが、あなたの会社の費用で調査をさせたとおっしゃるのですが、その調査された方は何人くらいでどなたですか、今御記憶がありましたらお伺いいたします。
——それでは山田証人に対する尋問はこれにて終ります。山田証人には長時間御苦労様でした。退席されてけっこうです。 次に鵜飼並びに林証人に対する尋問に入ります。質問の通告が田中、松岡両委員からございます。まず田中彰治君から御発言願います。
すでに先日の板垣証人、あるいはそれに関連する山田証人の証言によつても、または鹿地証人の証言によつても事実がだんだん明らかになつて参り、その事実が明らかになるたびに、この結論案なるものを急いで早くつくつてでつち上げて委員会を通さなければならないというところに追い込められたからこそ、昨日において急に各党と打合せをして、きようここで多数の力によ。て押し切ろうとしているのであります。
○山田証人 はあ。
○山田証人 はい。
○山田証人 はあ。
かような山田証人の言いますことの裏づけを一々して歩きまして、ほとんど二週間を経過いたしました。しかしいろいろの情報が漏れまして、この秘密を保持することが困難になりましたことは、鹿地氏の父親が大分県にまだ生存されておるのでありますが、実妹を連れまして、鹿地の身辺を憂慮いたし、上京して私のところへ会いに参りました。
山田証人自体が「書記局には書記局の又事務局があります。」とはつきり証言台の上で証言しておる。またかりに一歩讓つて、徳田氏は大書記長であるから、事務屋のごときは、書記局の下の方に並んでおる人を事務屋だと言われてもけつこうでありますが、少くともウオロシーロフに出したはがきについても、これは事務局で送つたことをはつきり言つておられる。またこの指令自体についても事務局から送つたんだから、内容について云々。
○西村(直)委員 おそらくこれは、私は中野重治君の発言記録を見、それから徳田証人の参議院における発言状況、山田証人の発言状況からみまして、多少の日付は問題になるかもしれませんが、しかし内容そのものにおいてはまず間違いがない指令である。この指令自体がやはり京都においてあれだけの事件を起し、京都における行動としては革命の行動に持つて行こうというふうに細胞組織を動かしておるのが事実であります。
今山田証人は書記局と言われ、或いは徳田前証人は事務局と言われましたが、どちらでも結構であります。どちらでも結構でありますが、結局我々はそういう機構で山田証人自身も事務局、書記局の一人であろうと私は思つておりますが、従つてその機構の中の一人であろう。
○小松委員 そこで重ねて委員長に私はお願いがあるのですが、過般山田証人に私がこの問題について特に尋ねましたときに、山田証人は操作米というような制度はないということをはつきりと私に答弁いたしております。ここに速記録がありますけれども、この速記録によつて明らかであります。
○神山委員 この前山田証人がここへ來て言つたところでは、一筆調査はまだ完了していない、従つて自分はあらゆる機会に農地調整委員会その他において一筆調査を主張しておるか、いまだに通らないということを言つておるのです。あなたのお話と少し違いますが……
速記録を調べればわかることであるが、山田証人は八斗を昔流の言葉で言つた、それがあるということを認めている。その点において、証人と一致している。從つて、八斗あるという事実は事実であつて、それを山田証人は昔流儀の言葉で言い、この人に普通の常識に從つて操作米と言つている。それだけの違いなんです。
○小松委員 山田証人にお尋ねいたしますが、あなたの上棚部落は先ほどお話のあつた四町何反歩という土地が非常に荒れておるのですが、この土地の荒れた原因は、洪水のためであるのか、あるいは耕作放棄のために田地が荒れたのですか。
○小川(半)委員 それはいずれまた他の人の証言も必要と思いまするから、さらに山田証人に対しては質問する場合が出て來ると思いますから、一應これでお答えなくともよろしい、また次の機会にお尋ねしますから。