2021-03-31 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第8号
今日のお配りしております、「流域治水で国民の命と資産を守り美しい山河の保全と創造をはかる」という資料に基づいて、私の意見を述べさせていただきます。 まず初めに、こういう場をいただきまして、日頃感じていることを陳述できる機会を与えていただきましたことに感謝しております。
今日のお配りしております、「流域治水で国民の命と資産を守り美しい山河の保全と創造をはかる」という資料に基づいて、私の意見を述べさせていただきます。 まず初めに、こういう場をいただきまして、日頃感じていることを陳述できる機会を与えていただきましたことに感謝しております。
ただ、また、一句、いつも万葉集を詠む方がいらっしゃいますけれども、一つだけ触れておきたいなというのが、杜甫の「春望」の最初の節だけは、子供のころ、中学か高校で学んだ記憶があるんですけれども、国破れて山河あり、城春にして草木深し、こういう言葉があります。 しかし、命はやはり大事なんで、戦争はしてはいけないですけれども、財政は何とか軟着陸というふうに考えております。
翌年の六月には、美しい山河を守る災害復旧基本方針を策定し、河川環境の保全に配慮した災害復旧に努めています。 そこで、農水省における、例えば、生物多様性保全を重視した農林水産業を強力に推進するため、平成十九年に生物多様性戦略を策定されたと承知しておりますが、本法案との兼ね合いといいますか、生物多様性の観点との整合性について、大臣の御見解を伺いたいと思います。
やはり、この日本という国土をどのように保全をして、壊さないで、その美しい山河を私たちの未来の人たちに手渡していくか、この視点が国民の中にどれだけ理解をしていただけるかということがあるんだろうと思うんです。
農家、農協破れて山河なしでは困ります。 目先の利益を追いかけるだけでは、どんな社会にしたいかという理念は示されません。百年後、みんなが困らない社会をつくるには何が必要なのか。それは、自然があること、ただあるのだけではだめです。農業や漁業などの第一次産業が衰退しては生きていけません。自分たちの生活を豊かにするための手仕事を大事にしたい。
当然ながら原風景、美しい山河、そして四季を通じた風景。で、原体験、それは何かというと、原体験といえば、歴史、伝統、文化、その土地の歴史、伝統、文化であると思うんですね。そこの中で自分の考え、そして先人がまた育ててくれた社会的規範、ソーシャルノームというか、そういうものを得ていくと。共同体生活の中でそれを会得していくと。だからこそ、自分たちには自由の気概が出てくる、独立、自尊の気持ちも生まれてくる。
緑豊かな山河、広大な海、とにかく気持ちがいいわけであります。癒やされるわけであります。日本一の過密都市武蔵野市では到底味わうことのできないものばかりでございました。 また、農山漁村の市町村との防災協定を結ぶことも大切であります。
しかし一方、地方には、大都会にない、きれいな空気、緑なす山河、新鮮な食料、美しい星空、落ちついた家屋、歴史的建造物、人々の温かいきずななど、人間が我に返り、生きている実感を得ることのできる、かけがえのない必要条件が全てあるわけであります。 地方創生の問題は、大都市のエネルギー、大都市の住民が、富、情報、活力を地方に還流するとともに、地方の持つ元気をいただくことに今日的な意味があります。
町を囲む自然環境、山河や田畑、そして鎮守の森もありますし、悠久の歴史の中で先人が築き上げた伝統、文化を共同体の一環として町の中で習得していくことが、習得していく原体験こそが我々日本人のアイデンティティーでもあり、町のストック、資産でもあると思います。
しかし、結局は山や川や森がもう荒れていって、山河、田園地帯が荒れて、そうしますと災害が非常に多発する、非常にひどい状況になっていくんですね。 改めてやっぱり地方重視という考え方を私はきちっとやっていかなければならないと、こう思っております。
美しい国の原点は、日本の原風景やふるさと、日本の山河、それを育んできた日本の歴史や伝統にあると考えます。今回の総理の所信には、日本の地方のことや、田園、農村、農業のことは全く触れられていません。強い日本と美しい日本との関係について、総理の見解を伺います。
続いて、まさに国破れて山河ありといいますけれども、国民が疲弊してしまっては、これは山河があっても国家でなくなる。これは安全保障すら語れないという形であります。 一昨日の十五日に朝日新聞の一面に、今国民的関心事となっている休眠口座の有効活用ということが載り、また、一昨日、成長ファイナンス推進会議、まさに国民の、国内安全保障の観点から有効活用しようという会議が開かれました。
自民党の藤川先生は特例には理解する、私も理解すると、理解はしておりますけれども、時間がなくなってきましたので少しトータル的な話していきたいと思いますけれども、私、この年になって心配しているのは、財政破綻して山河があるというような、そういう状況が国の状況じゃないのかなと思っているんです。
どんなにかふるさとの山河のことを思って避難されているかと考えてみてください。言葉が違います。文化が違います。ただでさえストレスを感じる不慣れな土地の中で、あしたのこと、仕事のこと、子供の学校のことなど、生活のささいな一つ一つのことに不安を抱えながら避難している方々のことを考えてみてください。想像してみてください。総理、あなたには想像力が足りないんですよ。
国破れて山河あり、その町がたとえ疲弊したとしても、そこに人が残れば、人材がいれば必ずその町は再び復活するということを考えれば、まずは教育の分散を考え、そして地方においてすばらしい教育の確立をしていくことが一番、遠回りのようでいてやはり一番近い地域活性化につながるということを、意見を表明させていただきます。
国破れて山河あり、どんなに疲弊しても、そこに生活を営む人々がいれば必ず復興は果たせます。復興のために必要なことは多々ありますが、何よりも重要なことは人を育てること、教育です。 未来を先取りする創造的復興策の一つとして環境先進都市の建設等が各方面から提案されていますが、震災被害、原発事故、そしてそれに伴う地域の複合的な損失、疲弊から立ち直るには、何よりも必要なのは人材の育成です。
国破れて山河ありという言葉がありますけれども、私は今日考えて、山河地震で揺らいでも、国信頼で復興する、もうこれしかないんじゃないかと。信頼が途切れた瞬間、まさに金利だって非連続的に急上昇するかもしれない。そのダメージはもう負の連鎖、次々と生んでいくことになります。いかがですか。
しかし、日本の中が、世界には貢献するけれども、日本の足元を見たら国破れて山河もないというような状態ではこれは困りますし、観光立国とかいうことから考えても、日本の売りは、世界の文明の中で、これだけ豊かな生活をして、山を見たら木が植わっているという文明は日本だけなんですね。サステーナブルコミュニティーをずっとまさにサステーンしてきたのは日本の文明だけですから、これからもそれが売りになる。
国破れて山河なしという話もありました。実は私、二十年前に国会議員になって、一番最初に、拠点都市法という建設省の法律がありまして、ここで代表質問したんです。そのときはもうちょうどバブルが終わりかけですけれども、国破れて山河ありということが日本の言葉ですけれども、国栄えて山河なしじゃ困るぞということも言いました。
そういった前で、なかなか民間ではリスクマネーを取りにくいというふうなこともございますから、そういったときは、きちっとやっぱり官と民とのベストバランスで、私は少し口幅ったいことを申しますと、明治以来、百五十年前から、やはり戦後、六十五年前、国破れて山河ありと、焼け野原の中から今日の日本をつくってきたのは、やはりその時代その時代にきちきちっとやっぱり官と民とのベストバランスで日本人の優れた英知をもって今日
しかも、これができた終戦直後は、まあ年行っていますから昔のことを言いますが、国は負けても、国破れて山河ありと、山に緑がある限りは日本は大丈夫だと、それほどの気持ちが当時の日本の国にはあったと思うのでございます。
国破れて山河ありと、この国は六十二年前、第二次世界大戦、太平洋戦争で無条件降伏した国でございまして、御存じのように、昭和二十一年は、当時、裁判官で、絶対にやみ米を食わないと、こういう裁判官が餓死をしたということが昭和二十一年にあったわけでございまして、昭和二十一年、この日本国はまさに国破れて山河ありと。