2020-11-20 第203回国会 衆議院 文部科学委員会 第4号
環境問題を克服するために再生可能エネルギーをふやしたいということなんですけれども、例えば、私の大分、空港と大分市を結ぶ間、車で走っていますと、かつては、春は山桜、秋は紅葉で美しかった山が、いつの間にか太陽光パネルでぴかぴか光り始めているんです。
環境問題を克服するために再生可能エネルギーをふやしたいということなんですけれども、例えば、私の大分、空港と大分市を結ぶ間、車で走っていますと、かつては、春は山桜、秋は紅葉で美しかった山が、いつの間にか太陽光パネルでぴかぴか光り始めているんです。
させていただいておりますけれども、この中で、十一月九日の三十二ページというところで、真ん中辺のところに、「このX氏とされている方にお会いしたのは今から三年四カ月前の七月の一回でございまして、同行者がおられて、その同行者が主たる来訪者でございました」というお話がございましたが、この同行者、主たる来訪者とありますけれども、この主たる来訪者というのは、前々回、大臣がメモのようなものとおっしゃった手書きの依頼状の送り主である山桜会
Y氏につきましては、二〇一五年の春から秋口にかけての三、四カ月の間、山桜会の役員だったことがございますが、その後、Y氏のかつての雇主である国会議員の方から、同氏の過去とか、その国会議員の方の事務所との経緯のお話がありまして、おつき合いを切った方がよろしいというふうにおっしゃっていただいたため、山桜会のほかの幹部からやめてもらうようにやんわりと伝えていただいて、そこでもうやめていただいている方でございまして
○田村智子君 昨日提出された三回目の訂正、これ、山桜会で訂正箇所ないと言っているんですけど、二〇一四年収支報告書、これ、改めてたくさん印鑑を押されて提出されているんですね。これの二ページ、六ページ、九ページには、会計責任者の印鑑が別の人の名前のものになっているんですよ。政党支部と後援会の会計責任者Tさんのものと思われる印鑑が押された後にNさんの印鑑で訂正されているんですね。
○国務大臣(片山さつき君) いずれにしても、最終的に山桜会の方には山桜会の会計責任者様の印、そして二十五支部の方には二十五支部の会計責任者様の印が押されて、その内容とともにそれが説明され、御本人が会計責任者として適切に見て了解をされているということだと理解をしております。
それから、この方と私の後援会、その後できました山桜会、二十五支部につきまして、二〇一五年に金銭的なやりとりは一切ございません。 会社の方につきましては、取締役になっていただいていた時期がありますから、利益の出たときは利益処分としての役員報酬はあると思います。 以上でございます。
一八年十一月六日午前八時に週刊朝日オンラインに掲載されたもので、これは、片山さつき事務所誰々様宛てに、急なお願いで恐縮ですが、別紙、株式会社どこどこの会長の誰々からの依頼です、大変お忙しいところまことに申しわけありませんが、よろしくお願いいたしますとして、丸、六月三十日火曜日どこどこ税務署で面談予定、もう一つ、丸、過去七年間にさかのぼって約八千万円の不明金に対する対応、以上、よろしくお願いいたします、山桜会
昨日、西村税理士、この会計責任者に、六月七日の山桜会発足につきまして、承諾の上で会計責任者を引き受けていただいた方ですが、御連絡がございまして、今おっしゃったメディアから御連絡があったので、何か非常にびっくりして、一切自分は知らない、存ぜぬのようなことを言ってしまったんだけれども、後から、誤解をされているようだから、以下のようにお答えしたという紙をいただきました。
そこで、きょうの一首は、春雨に咲いているあの山桜はどうだろうという一首がございましたので、万葉集巻八、一千四百四十番を詠ませていただきます。 春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ ありがとうございます。(拍手) では、陸奥の桜に思いをいたしながら質問に入らせていただくわけですが、最初の四問は、こういうときでございますので、やはり大震災の問題。
敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花 花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや あしひきの山川の瀬の響るなべに弓月が嶽に雲立ち渡る 大臣、御所見をお伺いしたい。
日本人として、外国に行ったときに堂々と日本の大和心、あえてもう一遍言いますけれども、 敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花 こういう魂でもって外交に当たっていただきたい。そういうことを思う庶民として、おかしいよ、本当に、文科省の真髄のことが。何か大臣、ありませんか。僕はおかしいと思いますよ、文科省の底流にある思想。何かあったら一言答えていただければと思います。
あるいは「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」、これは本居宣長です。 やはり四季折々の風情であったり風土、こういうものに根差した日本の文化、精神文化、これをもう一回見直すことが、我が国国民がもう一回幸せを取り戻して、そして、とりもなおさずそれがその瞬間に世界の人類のために貢献できるのだということを私は強く思っておりまして、そういうことを最後に申し上げたいと思うのです。
例の、本居宣長が「敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花」、こう歌っておりますが、そういうものに接するときに、やはり日本人でよかった、日本の国がもっともっと豊かであってもらいたいという思い、それはやはり愛国心のあらわれだろう、こう思っておりまして、今の子供、たまたまああいうワールドカップサッカーがあってそういう思いに目覚めたというのは非常にいいことなんですが、そういうものに導いてやる、これは大人の
そういう日本人が持っていた心といいますか、本居宣長は「敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花」と言いましたけれども、その心というものを実は我々は失ってしまったんです、特に高度経済成長とともにみんなが豊かさ、便利さ、快適さに突っ走ってしまって、そういう文化を貫いていた心をですね。
その中で、私は特にヒノキとかトチノキとか山桜だとか杉、ヒノキもわかれば教えてもらいたいんですが、苗一本は大体幾らぐらいしますか。
翌八二年には、アメリカ軍の陸軍との間の山桜という名前の指揮所演習が始まってまいりますし、あるいは指揮所演習のみならず兵まで含めるところの陸軍の合同演習が、ヤマトという名前で同じく八二年から始まります。ヤマト82というのは東富士演習場であり、その次はヤマト83ですが、これは別の名前で北斗83とも言います。昨年はみちのく84ということで東北で行われたのは、これまた御存じのことだと思います。
参議院としては、当然こういう批判があることを謙虚に受けとめて、参議院改革の実行で、委員会のあり方とかいろいろなもろもろのことを合理化していけば一、二割減は可能だと、そういうふうに私は考えておりますので、そしてその減ずる対象は、比例代表区を二割ぐらい減じて、それを国民が山桜に選挙できる、国民の意思を直接に反映できる選挙区の方のアンバランス、定数是正の方に回すべきだと、そういう考えなんです。
西廣参事官の領域でしょうか、山桜シリーズの発展として、特に北海道を舞台とした日米合同訓練について、今年度以降どんなことをお考えになっていらっしゃるのか。どんな位置づけのどんな訓練を。それをちょっと簡潔に伺っておきたい。
○秦豊君 しかし、参事官の答弁のニュアンスをつなぎ合わせると、「山桜4」以降の日本における訓練においては北海道が非常に有力であり蓋然性として大きく、かつ、それは五十九年度以降の可能性は否定されませんか。
○政府委員(西廣整輝君) 日米の共同指揮所訓練につきましては、先生御案内のように日米両国で交互にやるということになっておりまして、現在「山桜4」をアメリカで実施をしようということで、北海道では「山桜3」を昨年の暮れにやったところでございます。
○政府委員(西廣整輝君) 山桜3と申しますのは日本の千歳で行いました日米のCPXでございますが、今回の山桜4というのはアメリカのカリフォルニア州のフォートオードという基地で行うCPXであります。
山桜4というのね、演習が行われるという報道がありますけれども、去年の十二月、北海道で山桜3をやったばかりです。3と4の違い、それをひとつ明確にしていただきたいのと、それから規模は前回より大きいのか、どれぐらいの規模なのか、また日米それぞれの統裁官はだれかとか、それからまた何を想定しているのか、この件をお答えください。
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」、ずばりと言っているじゃないですか。その短い歌の中に日本人の心をうたっているじゃないですか。歌挙げしているのです。私は、古代の日本人のようなもっと屈託なく、さっき田中寿美子さんと女流歌人の額田王の話をしたけれども、ああいう屈託のない女性は世界には少ない。
山桜二とか山桜三とか、富士の実動演習とか、これ一体理由と必然性がわからない、私には。何をねらい、何を目指したいかなる必然性に基づく演習なのか、この辺をまず明らかにしてもらわないとわからぬ。
どうぞ「敷島の大和心を人間はば 朝日に匂ふ山桜花」と本居宣長が歌ったように、桜も若葉も一緒に太陽の光に向かって開いていくような、あのみごとな風情を外交の中に生かすのは、やはり私はいまの総理大臣といまの外務大臣というのは相当の苦労人で絶好のチャンスを迎えて、その絶好のチャンスに人類のために死をいとわない武器なき戦いのときに、政治家が万民にかわって命を捨ててかからなければ世界の新しい秩序なんかは生まれてこない
私は、日本の桜の名歌としては本居宣長先生の「敷島の大和心を人間はば 朝日に匂ふ山桜花」、これが一番桜の心を歌った名歌と思います。また、いまのようなあらしの時代に日本のデモクラシーの父、尾崎行雄さんは「花の下手綱緩めてめで行けば 世の波風もあらじとぞ思ふ」というふうに歌っております。これもりっぱです。大正の官僚、軍閥の専制政治の間違いを打破するために尾崎さんは護憲運動の先駆者となりました。
それから、ことしの二月十五日から五日間、やはり東富士演習場におきまして関東有事を想定した日米合同指揮所訓練、図上演習ですね、山桜作戦と一応呼んでおったようですが、これが行われております。この山桜作戦については日本から千名、それからアメリカから五百名の指揮者が集まって、かなり大きな訓練をやったようでございますね。