1958-04-01 第28回国会 衆議院 文教委員会 第14号
なお山本航海長がおっしゃいましたように、宗谷の今までの砕氷能力というものを少々増してみたところで、そんなものは五十歩百歩で、私はよけい違わぬと思うのであります。それよりか航空機の方に力を入れる。
なお山本航海長がおっしゃいましたように、宗谷の今までの砕氷能力というものを少々増してみたところで、そんなものは五十歩百歩で、私はよけい違わぬと思うのであります。それよりか航空機の方に力を入れる。
また専門的に山本航海長あたりが考えられまして、そういった点についてどういうふうにお考えになられますか、一つ率直にお漏らし願えればけっこうだと思います。
○佐藤(觀)委員 山本航海長に一言お伺いしたいのですが、実は隊長の、宗谷をもう少し改装すればというような意見もあり、おそらく来年やろうと思えば、新しく船を作るような余裕はありませんので、当然宗谷の改装ということになると思うのです。
電報を打たれたかどうかは、あとで答弁をいただきたいのですが、なお、永田隊長と山本航海長は飛行機で先に帰るわけですが、来年度またやられるかどうか。どういうお考えを持っておられるのか。
そこで、われわれの方といたしますと、一昨々年、ここへ参る前の年に松本船長、山本航海長、それから重松機関長、この三人を捕鯨船に乗せまして、前調査にこの沖の方までやったんであります。
○島居政府委員 一昨年宗谷が第一回に参ります前に、実は初めてそういうところに行くのはわれわれの方といたしましても大へん重大なことでございますので、その前の年に松本船長、山本航海長、重松機関長、この三人を急拠年末に捕鯨船に乗り込ませましてリュッツオフ・ホルム湾近傍までやったのであります。そのときの結果だけ申し上げますと、松本船長が帰りましての報告に、大体宗谷くらいで行けると思います。
これは山本航海長さんからも御説明がございましたけれども、十三日間にわたりますその閉さされていらっしやるその間に、その付近にソ連の優秀船のオビ号がおったようでございますけれども、初めから宗谷の近くにいたオビ号に救援を依頼しないで、なぜ二週間もかかる距離のところにいた米国のグレイシャー号を先に頼んだのでございましょうか、まだこの点は納得いたしかねる点があるように実は思うわけでございます。
○佐藤(觀)委員 山本航海長にお尋ねするのですが、私はオビ号が救援に来たところをニュース映画で見たのですが、日本の宗谷が三メートルくらいも砕氷ができればあのように党々とやれると思うのでありますが、そのときにおいての山本君の気持、あのときの状態をもう少し説明をしていただきたいと思うのです。
山本航海長は砕氷能力について、これは自然と戦うのだからやむを得ないということでありますが、われわれしろうと目には、宗谷の難航したのは、グレーシャー号やオビ号はどの砕氷能力がないから難儀をしたんじゃないかということが想像されますけれども、そういうことについて、山本航海長はどういうふうにお考えになっておるか、その点をまず率直にお述べ願いたいと思います。
○政府委員(島居辰次郎君) この予算を組みますときにおきましては、まだ宗谷は向うへも着いていないときでございまして、実際行って見なければ、いろいろの経験、また外国に従来出ておる文献からしても、なかなかわかならかったような状況でございまして、そういう意味で、実は山本航海長を先月帰して、そうして今いろいろ事情を聞いているようなわけでございまして、その当時から、予算には盛れないけれども、もしできたら予備費
○緒方政府委員 南極観測の宗谷の問題につきましては、大へん御心配いただいたのでございますが、宗谷の砕氷能力につきましては、ただいまお話がございましたように、本日の夜に永田隊長並びに宗谷の山本航海長が急遽帰ってこられることになりましたので、これらの方々が帰られました上、よく御報告を伺いまして、その上に、その御意見あるいは経験に徴して、今後十分検討をしなければならぬ問題だと存じます。