1980-11-05 第93回国会 衆議院 法務委員会 第3号
当時の検察庁の最高検は佐藤藤佐検事総長、岸本義広次長、東京高検検事長が花井忠、東京地検が馬場義続検事正と田中万一次席、山本清二郎特捜部長、河井信太郎主任検事、このもとに行われた問題でございまして、当時の内閣総理大臣は吉田茂、法務大臣が犬養健、それから清原邦一が次官、井本台吉が刑事局長、こういうときにでき上がりました造船疑獄の問題でございます。
当時の検察庁の最高検は佐藤藤佐検事総長、岸本義広次長、東京高検検事長が花井忠、東京地検が馬場義続検事正と田中万一次席、山本清二郎特捜部長、河井信太郎主任検事、このもとに行われた問題でございまして、当時の内閣総理大臣は吉田茂、法務大臣が犬養健、それから清原邦一が次官、井本台吉が刑事局長、こういうときにでき上がりました造船疑獄の問題でございます。
その弁護士の山本清二郎、大阪高検の検事長。大久保の弁護士、野村佐太男、岡崎格、それぞれ名古屋高検、大阪高検の検事長あるいは検事。ごらんなさい、みんな取り調べる側、しかもさっき言ったとおり、まだ退職してほやほやの湯気が立っておる人まで、全部弁護に回っておるじゃないですか。だから私どもが、調べる方と調べられる方は、まさに一体だと言わざるを得ないのは、こういう事実の中にあるのですよ。
いま国民はこの問題について、かっての井上検事総長が、あるいはまた山本清二郎元最高検次長検事が、あるいは野村名古屋高検検事長、あるいは岡嵜さんですか、大阪高検検事長、中村東京高検刑事部長、こういった要職を歴任された検察首脳、いまの検察官の先輩、OBの皆さんがまさに疑獄で問われている人たちの弁護におつきになっているということは、これは検察庁が真相解明をやると言っても、一定の圧力や支障になるのではないかと