1952-05-13 第13回国会 衆議院 地方行政委員会 第43号
八日午後四時十分ころ、山本巡査とともに早大正門前に到着いたしまして、山本巡査は正門を入つてすぐ左側の松の木のところに待たせて、單身文学部事務室に入りまして、その事務官に面会をいたしまして、姓名を名乗り、警察手帳を出して身分を明らかにした上要談の後――この間約十分間であります、校門を出ようといたしましたところ、広場で二百名ばかりの学生が輪をつくつて、わいわい騒いでいたのであります。
八日午後四時十分ころ、山本巡査とともに早大正門前に到着いたしまして、山本巡査は正門を入つてすぐ左側の松の木のところに待たせて、單身文学部事務室に入りまして、その事務官に面会をいたしまして、姓名を名乗り、警察手帳を出して身分を明らかにした上要談の後――この間約十分間であります、校門を出ようといたしましたところ、広場で二百名ばかりの学生が輪をつくつて、わいわい騒いでいたのであります。
勿論事件によつては警察は嚴粛にその実力を行使しなければならないことは何人も否定し得ないところでありまするが、今回の問題は、藤原公安主任並びに山本巡査の二人が日沒前に約八百名の学生に取り囲まれ、不法侵入だ、詫び状を書け、それが駄目なら警察手帳を寄越せ、こういう要求をされたと言われております。又事実もそのようであります。
八日の夕刻、私服二名が次官通牒を無視して早大構内に入り込み、学生に発見されるや、飴屋であると嘘を言つて身分を隠し、追及されて警官であると泥を吐き、純真な学生の憤激を買つたあげくに、学生代表十名、佐々木教育学部長、滝口学生厚生部長に、警察側、伊藤神楽坂署長、藤原警備主任、警視庁公安二課の岡村主任、山本巡査の計十六名が、三百二号教室で、問題を平穏裡に処理すべく話合いを進めた結果、「手続上に手違いがあつた
最初山本巡査がその身分を明らかにしなかつたことは手落ちであります。併しながらその身分を明らかにしておつたにもかかわらず、文学部三百二号教室にこれを軟禁したということは、これは学生の行き過ぎであつて、これは島田総長も遺憾の意を表しておられるのであります。併しメーデーの事件とこの早大事件とは全くその本質を私は異にしておるものだと思います。メーデーの事件は私は一種の暴動だと考えております。
当日、八日の日でありましたか、神楽坂警察署の荻野巡査部長と山本巡査が早大に、ある容疑者の——これはすでに逮捕令状が出ておるのでありますが、その容疑者のことにつきまして、早大について一応事前に調査する必要があるのであります。それは令状を執行するため、さらに早大の事務当局について十分にその者の確認をする必要上、両名の警察官が早大事務当局に出頭いたしたのであります。
その翌日午後四時過ぎでありますが、山本巡査を帯同いたしまして、文学部のある事務員のところへお伺いしたのであります。その際に山本巡査に、二人で行くのもいろいろ目につきやすいので、君はそちらで待つておれというので、校門の付近——学校の構内であつたと思います。構内の校門のすぐ階段のどこかの付近じやないかと思うのでありますが、校庭のすみの方に山本巡査は待つておつたそうであります。
それは山本巡査のいわゆる軟禁から、実力行使までの間に長時間の交渉を要したようでありますが、妥結に至らず、長時間を要したその理由がどこにあつたかという点と、次官通達が大学の自治と警察権の限界とを調整して大学を管理する上においてすでに不十分ではないかというふうに思われる節があるのではないかといわれておりますが、この点に対する御意見と、この二点だけを簡単に承つておきたいと思います。
次に、当日学生二百余名が山本巡査を約十時間にわたつて軟禁していたのは、山本巡査が、刑事事件の容疑者の逮捕に伴う、いわゆる職務執行という合法的な大学構内に対する立入りによつてこれが発生したものであると報道されているのであります。従つて、これに対する学生の行動は、まことに合法に対する非合法的な処置に出たものではないかと思われるのであります。