1975-08-26 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第33号
それで、この返還を私、長らくやってまいりまして、いろいろなことがございましたが、米本国に問い合わせる必要がある、で、米本国の回答は、海浜一号住宅地のみならず、二号住宅地にせよ、ボイラー地区、チャペルセンター、山手住宅地などなどまで引き続き移転をするということであるならば認めようということになってきた。そこでまず第一番目に、海浜一号住宅地、この返還問題になってまいりました。
それで、この返還を私、長らくやってまいりまして、いろいろなことがございましたが、米本国に問い合わせる必要がある、で、米本国の回答は、海浜一号住宅地のみならず、二号住宅地にせよ、ボイラー地区、チャペルセンター、山手住宅地などなどまで引き続き移転をするということであるならば認めようということになってきた。そこでまず第一番目に、海浜一号住宅地、この返還問題になってまいりました。
それはおそらく防衛施設庁のほうの話だと思うのですけれども、そうした形で一号海浜住宅、二号海浜住宅、あるいは山手住宅地というのがあるわけでありますが、一号、二号の海浜住宅地は、約半分が国有地だということでありますけれども、あそこは民有地と国有地が入りまじっている地域であるわけでありまして、まず、一号海浜住宅地ですが、あそこには一体どのくらいの国有地が総計ありますか、わかりますか。
これは横浜の山手住宅地です。これはいきなり軍用地に接収してしまって、住宅をぶっこわして道路を広げちゃった。つまり米軍のトラックを入れる道路をつくった。だから、個人の所有の百坪、二百坪、三百坪、八十坪という土地がみんな道路になっちゃった。
これは本牧の米軍一号住宅地あるいは山手住宅地あるいはその周辺の住宅その他を含む洗たく場なんです。ところがこれが中央青果市場の隣にあるだけに、横浜のようにマンモス的に人口がふくれ上がって、ここ四、五年で人口が四十万からふえている、そうするとその台所をまかなう青果関係だって、これはやたらにふえる。だから生産者が積んできて中に入る、朝の六時なり七時あるいはもっと早く。