1949-03-23 第5回国会 参議院 厚生委員会 第1号
例えば村山山形縣知事は昭和九年にも甚だしい事例が起つた。この地方では養子に行くのが通念であつて、根本的には惡いとは思つていないと考えて、兒童身賣を養子に行くというようなことと一緒に考えておるのであります。
例えば村山山形縣知事は昭和九年にも甚だしい事例が起つた。この地方では養子に行くのが通念であつて、根本的には惡いとは思つていないと考えて、兒童身賣を養子に行くというようなことと一緒に考えておるのであります。
ところが山形縣知事の意見によると、それを消費した人が納めるということになるわけであります。そうしてそれが生産した市町村の收入になるとまあこういうふうなことができないかというような御意見がありました。 それと同じようなことが……福島縣に参りましたところが、福島縣は煙草の生産地だそうです。で、相当煙草を生産しているけれども、生産に必要なところのいろいろな生産奬励金とかそういうものはない。
読み上げますと、「山形縣最上郡西小國村の昭和二十二年産米未完納者に対する西小國村食糧調整委員会の申請に基く山形縣知事の強権発動に関して、三月二十二日突加最上地方事務所長及び西小國村長に対し農林大臣が電報をもつて停止を命じたことは、食糧管理法にもとるもので供出制度を破壊するものと断ぜざるを得ないとともに、かかる指示を発せられるにおいてはわれわれ食糧調整委員は主要食糧の供出に関しその責を果し得ない事態に
これは、山形縣知事の村山道雄という人が、去年の十二月二日に、山形新聞あるいはそのほかの地方新聞に、これは十二月六日の新聞ですが、山形縣告示第四百八十八号に発表しておることがある。どういうことをいつておるかと申しますと、「本年産米の供出は強い割当であります。しかも必ず本月中に完遂していただかねばらならない供出であります。私に先ず皆様に何故に今年の供米の割当が今までよりも強いのか。
この昇格運動につきましては、山形縣知事、それから山形縣の織物工業協同組合、縣會議長はもちろん、それから專門學校卒業者、在校生、それからの代表として今日御説明申し上げます。 この米澤工業專門學校は明治四十三年十月、官立米澤高等工業學校として新設せられたのでありますが、以來三十八年を經過してあまたの卒業生を出しておるのであります。
二十三號の陳情は宮城縣知事、福島縣知事、岩手縣知事、青森縣知事、山形縣知事、秋田縣知事、以上の知事から提出されました陳情でありまして、配布されました陳情文書にありますように、最近中央官廰の地方機關が非常に多數新設せられておるけれども、これは地方行政の運營を阻得し、且つそれがために地方の自治體が却つて國家に對し、責任を遂行することができないような結果となつておるので、今後十分に考慮せられたい、同時に現在
被遊居候哉御伺申上候、却説隱退藏物資の件に關し問題意外に波及し世上論議の中心として取扱れ居候處端し無くも栃木縣下隱退藏物資拂下に 關し間島は當時世耕氏に對する不滿の為めか或は自己の非を隱さん為の底意か其の目的何處に在りやは別として右に關し塚崎先生及不肖より百萬圓也の報酬を要求せるかの如く宣傳せる事は洵に迷惑至極の言懸りにて栃木縣出張の前夜間島塚崎先生小生の三人にて會合打合の雜難談の間に本伴拂下成功の曉に於て貴山形縣知事
それで大變好都合なお話でありましたので、森淳氏の意見を信じまして二月五日に本會では山形縣知事の農民人口の證明書を添付しまして内務政務次官世耕弘一あてに申請しました。その後二月五日の申請後、その申請書を携えまして内務省に參りました。