2018-02-05 第196回国会 衆議院 予算委員会 第5号
施政方針演説の中で会津の山川健次郎さんの話を出していただいたのは、地元会津でもいろいろな評価がありましたが、話題にしていただいたことは素直に感謝を申し上げたいというふうに思いますし、また、先週、逢坂議員がこの百五十周年に関して、野田総務大臣のいろいろな、女性の活躍についてはいろいろな意見があったわけで、それを取り上げたときに、総理の答弁が、官軍、賊軍というのを言い直して、西軍、東軍と言い直していただいたのも
施政方針演説の中で会津の山川健次郎さんの話を出していただいたのは、地元会津でもいろいろな評価がありましたが、話題にしていただいたことは素直に感謝を申し上げたいというふうに思いますし、また、先週、逢坂議員がこの百五十周年に関して、野田総務大臣のいろいろな、女性の活躍についてはいろいろな意見があったわけで、それを取り上げたときに、総理の答弁が、官軍、賊軍というのを言い直して、西軍、東軍と言い直していただいたのも
総理は、施政方針の冒頭で会津藩の山川健次郎翁の名言を引用しました。会津藩といえば、子供たちを教育する集まりであった什という組織がよく知られており、「什の掟」も今に伝えられています。その第三は「虚言を言ふことはなりませぬ」であり、「ならぬことはならぬものです」と締めくくられています。山川翁も反すうしたであろう「什の掟」も踏まえ、総理には全ての問題に真摯に向き合っていただきたいと思います。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 百五十年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として迎えました。 しかし、明治政府は、国の未来のために、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました。 国の力は人にあり。東京帝国大学の総長に登用された山川は、学生寮をつくるなど、貧しい家庭の若者たちに学問の道を開くことに力を入れました。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 百五十年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として迎えました。 しかし、明治政府は、国の未来のために、彼の能力を活かし、活躍のチャンスを開きました。 「国の力は、人に在り。」 東京帝国大学の総長に登用された山川は、学生寮をつくるなど、貧しい家庭の若者たちに学問の道を開くことに力を入れました。
私は会津若松出身ですが、戊辰戦争が終わって百三十八年、例えば東大の初代総長山川健次郎先生初め多くの教育熱心な方がいらっしゃいましたが、四年生大学は百二十五年後にやっとできました。できたときに、文部省の御指導も受けて、いわゆるコンピューター理工学部、日本で唯一の理工学部として会津大学が誕生したわけです。
どこからお聞きになったか知りませんが、「わが父を語る」山川健次郎氏のお話をしていただいたのであります。父と夫とは大へん字がよく似ておりますので、どういうふうに伝えられたのか私は存じませんが、そうした意味での政治活動は私たちは何もいたしておりません。