1975-02-14 第75回国会 衆議院 運輸委員会 第2号
御承知の山名教授の機体欠陥説というものが大変めんどうな実験の結果割り出されたものでございましたけれども、少数意見として報告書には記載されませんでした。ついでになりますが、その少数意見の併記ということをこの中に特に私は入れていただきたいのは、そこにあったのです。
御承知の山名教授の機体欠陥説というものが大変めんどうな実験の結果割り出されたものでございましたけれども、少数意見として報告書には記載されませんでした。ついでになりますが、その少数意見の併記ということをこの中に特に私は入れていただきたいのは、そこにあったのです。
○華山委員 いかなる意見といえども、人命に関係する問題ですから、まじめに取り上げていただきたいと思いますし、特に私、しろうとでございますけれども、山名教授はその道の日本の少数の学者の中の研究家であられるわけです。私は、十分に先生の意見というものを御研究になって、そして取り入れていく、こういう態度でさっそく進んでいただきたい、このことをお願いいたします。
それと、伺いますけれども、あの際におっしゃいました山名教授の御意見、われわれしろうとが聞いておりましても、そういうこともあるのかというふうな気持ちもするわけでございます。この調査団の報告に山名教授の御意見がとられてなかったといって私は放置さるべき問題じゃないと思うのです。
○松本(忠)委員 私は、本年の二月二十六日に東京大学に山名教授をおたずねいたしました。いろいろとお話を伺いました。また去る十一月三日の大田区産業会館において開かれました航空安全推進連絡会議主催の、羽田沖事故原因を追及する研究会にも出席をいたしました。午前十時から午後の五時半まで、山名教授の講演をこの耳で聞き、スライドをこの目で見てまいりました。
○河村委員 そこで、先ほど少数意見を付したらどうかという意見があって、団長はそれもよかろう、そうしたらどうかということをはかったが、山名教授のほうからその必要はない、あるいは出されちゃ困る一どう言われたか知りませんが、とにかくそれは要らないということであったという御説明でありましたが、そのときには、なお山名教授は委員であったのですか、なかったのですか。
○河村委員 さっきちょっと聞き漏らしましたが、山名教授のこの研究というのが非常に長くかかって四十四年秋までかかった、こういう御説明でありましたが、これは山名教授が団員としてやったといいますか、要するに団としての研究としてやったものですか、どうですか。
そして一方では、先ほど申しましたように、山名教授の七時間にわたる説明に対して、打ち切りということで採決が行なわれた。その辺の事情は先ほどお聞きしたばかりでございますが、結論的にはそれはやはり葬っておるということは事実なんで、こういうような発言が続いておる。実際問題として、結局は原因不明になった。
○内村説明員 山名教授は、この点については全然お触れになっておりませんでした。
○松本(忠)委員 いずれにしましても、山名教授は一月三十一日に辞任届けを出し、八月十四日に委嘱が解かれている。この最終報告書は九月でございます。したがいまして、山名教授はこの報告書に対しては責任がない、こういうふうに理解していいわけですか。
○松本(忠)委員 若干お尋ねしたいと思うのですけれども、安全ベルトの取りつけ金具に荷重が加わったあとがあるという点に対して、山名教授はそれをどう判断されていたか。山名教授に判断を求めたことがあるのかないのか。
そこで、私は、二月二十六日、雨の降っている日でございましたけれども、東大に山名教授をたずねまして、二時間あまりにわたりまして種々と話し合ってまいりました。山名教授のお話もいろいろと伺ってまいりました。 そこでお尋ねしたいのは、山名教授の辞表提出について、航空局長——きょうは局長が参議院のほうに行っておられまして御出席ございませんので、直接聞くわけにいきませんが、局長は慰留に行かれたのかどうか。
山名教授の慰留につきましては、局長も努力されまして、直接会って慰留されておるはずでございます。私もそのように聞いております。
そこで、私は、二月二十六日、雨の降っておりましたその日に行って、山名教授と会っていろいろとお話を伺ってみました。その山名教授の辞表提出について航空局長は慰留に行ったのかどうか。山名教授はどのように返事をされたのか。そのところをまず一点伺ってみたいと思います。
特に羽田沖のボーイング727の調査団員の一人であります山名教授は、ただ一人、この事故の原因が機体の欠陥にある、こう述べておるわけでありますけれども、ジャンボ時代になりますと、当然この事故が三百人から五百人の事故になりまして、数倍の事故になる。
これにつきましては、御承知のように日本の最高権威といわれる木村教授を団長としまして、そうしてまる三カ年間これが調査を進めた、その調査の途中におきまして、御承知のように、山名教授はいろいろのみずからの学説を出しまして、それにつきましても、この木村調査団は約半年以上、約一年間にわたって山名教授の提示しましたその案件について調査をいたしましたが、何としても最終的な、いわゆる山名教授の出されました意見を証明
しかし、ここまできびしく規定されますと、やはり事故の問題で、山名教授の問題なんかいろいろ今後の問題、私はお聞きしたいと思っておりますけれども、やはりパイロットが具体的にそういう事故に際した場合でも、やはりそこまで一々考えて、この規定があるからおれは残っていなければならないとか、そんな問題じゃないと思うのです、瞬間の問題ですから。