2006-03-31 第164回国会 衆議院 法務委員会 第12号
山下画伯のようなものですね。毎晩のことを正確に絵をかくわけです、数十枚。結局のところ岐阜で逮捕されたんですが、岐阜に至るまでずっと絵をかいてもらいました。その絵によりますと、犯行当日、どう考えても島田にいない。これが傍証になったわけでございます。 それで、静岡地裁で無罪判決を得ましたけれども、赤堀被告は無罪で釈放されるまで三十四年間、青春はもとより人生を無にした、こういう事案でございます。
山下画伯のようなものですね。毎晩のことを正確に絵をかくわけです、数十枚。結局のところ岐阜で逮捕されたんですが、岐阜に至るまでずっと絵をかいてもらいました。その絵によりますと、犯行当日、どう考えても島田にいない。これが傍証になったわけでございます。 それで、静岡地裁で無罪判決を得ましたけれども、赤堀被告は無罪で釈放されるまで三十四年間、青春はもとより人生を無にした、こういう事案でございます。
したがって、一番やはり根底の子供たちの可能性に生きるという、これがなければ、この問題は、私は取り組むところの姿勢というものは、もし先ほど来答弁があるように一つの教育の限界があるという線を引くとするならば、こういうものの考え方の中からはかってのヘレン・ケラー女史も出てまいりませんでしょうし、あるいは戦後の山下画伯も私は出てこないと思う。
ところが、施設に入って、山下画伯というような画才がそこで育てられたわけであります。ところが、彼は性欲というものは全然ないわけです。全然性欲はございません。ところが、これと反対に何もないけれども、性欲だけ旺盛だというのがあるのです。これがいろいろな犯罪、性犯罪を起こす原因になっております。